
「(新年が何事もなく無事に)明けましておめでとうございます」「新年(を無事に元気で迎えることができ)おめでとうございます」 ― 使い古された挨拶の言葉ですが、どちらも本当は、相手の状況を慶び、そのことを祝う言葉なのです。( )内の言葉が省略されているだけで、元来、相手を思う気持ちから生まれた言葉に違いなく、自分さえよければあとは二の次、いわゆる“~ファースト”を唱える政治家やそれに同調する人達には無縁の発想かもしれません。
“~first”という発想そのものがすでに、「自分・自分達」と「それ以外の人間」との分断や差別、敵対、等を生み出しているのだということをどれだけの人達が認識しているだろうかと思うと、とても不安になります。
昨年のお正月のように、「明けましておめでとうございます」というような年賀状をやり取りした人達が、元旦のその日に、大地震で命を落としたり、家が倒壊したり、思わぬ災害に遭遇することもあります。人、一人ひとりの命や尊厳を思うとき、極限状態のなかで誰が“~first”などという発想を優先させるでしょうか。救助するのに旅行者の命より県民ファーストなんて誰が思うでしょうか。人は当然のこと、牛一頭、馬一頭、犬一匹、仔猫一匹でも可能な限りその命を助けたいと思うのが「人間」の常ではなかったでしょうか。
本当の平和や、差別のない社会というものは、最も身近な処で、自分や自分たち以外のこと、つまり「他者」を思う気持ちから生まれ、そして守られて行くものだと思います。「戦争を知らない子どもたち」と日本で初めて言われた世代の私でもそう思うのです。
先日、電車の中で偶然隣り合わせに腰かけていた青年のスマホ画面が私の目に入りました。友人からのメールでしょうか、「明けオメ。」と表示されていました。その世代の略礼かもしれませんが私には儀礼のように思えました。挨拶ひとつでも相手への思いが伝わる言葉でありたいと思った瞬間でした。

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