ムジカ工房は、音楽教育家・北村智恵をサポートする、高槻市の小さなアトリエです。

エッセイ

北村智恵「風の声」より

写真・岡本 央「郷童」

2025年8月

「ものは思いよう」とよく言われるが、人間の幸・不幸は本当に思いようによって大きく変わる。今まで幾つも大病をして何回も入院、全身麻酔による手術も何度も受けたが、今回受けた膝の人工関節置換手術は、麻酔が覚めた直後から、これまで経験したことのないほどの、しかも広範囲の激痛で、我慢しても我慢しても、喘息のせいでロキソニンが使えない私にとっては他の薬剤も効かず、拷問かと思えるほどの痛みが数日続き、痛みに強いはずの私も思わず嗚咽を洩らしてしまう程であった。食事などとんでもないという状況だったが、水分だけは多めに摂るようにと言われていたので、酸素マスクや点滴等、何本もの管に繋がれて不自由ながら、ペットボトルの水だけは努めて飲むようにしていた。
 激痛が続く中、空っぽになったペットボトルを、寝たまま手の届く所にあったゴミ箱の上にポトンと落とし捨ててしまった翌朝、清掃員のオジサンが床掃除の後、ゴミ回収のためゴミ箱を手にされた時、「すみません。分別できなくてペットボトルもそこに捨ててしまいました。」と言って謝ると、その人が言った。
「あ、分別するのも私らの仕事!そんな細ごましたことに気ィ使わんと、病気や手術で入院したはる時ぐらい、大っぴらに寝ときはったらよろしいで。痛うて辛うおす(痛くて辛い)時に、私らにまで気ィ使うてくれはっておおきに。ま、大っぴらに寝といて下さいや」―と。
 術後の激痛の辛さでずっと泣いていた涙が訳のわからないあたたかい涙に変わったような一瞬だった。主婦の日常に思いを馳せられる人なのだと思った。何とやさしい初対面のオジサン―。病棟個室の片隅で、こんな人と出会えて良かった―。本当に「ものは思いよう」と思った。薬で助けられなくても「人」に助けられた思いがした。そうか、入院中くらい、大っぴらに泣いて大っぴらに寝とけばいいんだな。(ちえ)

2025年1月

  『モズが枯れ木で啼いている おいらは藁を叩いてる
綿引き車はお婆さん コットン水車も廻ってる
みんな去年と同じだよ けれども足んねぇ物がある
兄さの薪割る音がねえ バッサリ薪割る音がねえ
兄さは満州へ行っただよ 鉄砲が涙で光っただ   
モズよ寒いと啼くがよい 兄さはもっと寒いだろ』
 
十二月になり、本格的に寒くなり始めるとなぜか毎年、ふとこの歌が口をついて出てくる。
第二次世界大戦敗戦直後の日本で無事復員した人達との間にドッと生まれた、いわゆる「団塊世代」生まれの私は、辛うじて「戦争を知らない子どもたち」として育ち、それは今も続いている。有難いことに戦後の民主教育を受けられたこと、平和教育の中で育ったことは、何にも代えがたい幸福なことだったし、それは長い日本の歴史の中でも稀有な時期だったと思う。
 学校教育の中で反戦映画を沢山鑑賞し、子どもながらに「如何なる戦争にも正義などない」と確信し、人間にとっての「命」と「尊厳」以上に大切なものなど何一つないと学んだのは、本気で平和教育に取り組み続けた当時の教師達の力だったのだと思う。「百舌が枯れ木で」の歌は、学校で習ったのか、ラジオ等で耳にして自然に覚えたのか記憶がないが、「音風景」だけで非日常と戦争の残酷さを語り、少女時代の私の胸の底に棲み続け現在に至っている。
 戦争とは、人を殺すこと、人に殺されること、そして  人を殺さされることなのだと。
 今年十二月八日、「今日は何の日?」と街行く人々に訊く放送記者の取材風景をテレビで見た。殆どの若者が「エーッと、あ、なんか新しいスマホの発売日?」と答えていた。
 日本は、世界は、この先、どうなるのだろう。日本が仕掛けた太平洋戦争の開戦記念日と答えるのは私だけではないと思いたいのだけれど。(ちえ)    2024年12月12日