ムジカ工房は、音楽教育家・北村智恵をサポートする、高槻市の小さなアトリエです。

エッセイ

北村智恵「風の声」より

写真・岡本 央「郷童」

2026年1月

 歳のせいか、この頃、置き場所・入れ場所を忘れ、「探し物」をすることが多くなった。記憶力の良いことだけが取り柄だと思っていた自分が、毎日といっていいほど、ちょっとした物から大事な物まで、探し物に時間を取られていることに気付いた時、「これが年を取るということなのだな」と、日々痛感している。家の中での置き場所、ポシェットや鞄の中の入れ場所、等、その物によって決めているのに、ふとしたときそこにその「物」が「ない~」と気付いて、不安になることが増えた。物がなくなったという不安を超えて、覚えていない自分の実状が不安になるのだ。 

そんなある日、通院しているリハビリ病院の診察券が、バッグの中の、あるべきポケットの中になくて大探ししたが見つからず、翌朝受付で再発行してもらうつもりで病院へ行ったら、受付の女性のほうから「北村さん、診察券なくされたでしょ?」と言われ、一瞬「あ、前回貰って帰るのを忘れたんだな」と思ってしまった。( ホントに忘れっぽくなったなァ… と、またもや痛感― ) するとその時受付の女性がすかさず言った。 「これ、拾われた方が、この病院までわざわざ届けに来て下さったんです。お訊ねしたんですけどお名前を仰らず、JR高槻駅の構内で拾った、とだけ仰って…」と。 JR高槻駅からその病院内の総合受付まで歩いて十数分は掛かる。― 何と親切な人! 私は、この世には、神よりも仏よりも、こんな「人」がいることで、まだまだ信じられる世の中だと、心から思った。
(ちえ) 

2025年8月

「ものは思いよう」とよく言われるが、人間の幸・不幸は本当に思いようによって大きく変わる。今まで幾つも大病をして何回も入院、全身麻酔による手術も何度も受けたが、今回受けた膝の人工関節置換手術は、麻酔が覚めた直後から、これまで経験したことのないほどの、しかも広範囲の激痛で、我慢しても我慢しても、喘息のせいでロキソニンが使えない私にとっては他の薬剤も効かず、拷問かと思えるほどの痛みが数日続き、痛みに強いはずの私も思わず嗚咽を洩らしてしまう程であった。食事などとんでもないという状況だったが、水分だけは多めに摂るようにと言われていたので、酸素マスクや点滴等、何本もの管に繋がれて不自由ながら、ペットボトルの水だけは努めて飲むようにしていた。
 激痛が続く中、空っぽになったペットボトルを、寝たまま手の届く所にあったゴミ箱の上にポトンと落とし捨ててしまった翌朝、清掃員のオジサンが床掃除の後、ゴミ回収のためゴミ箱を手にされた時、「すみません。分別できなくてペットボトルもそこに捨ててしまいました。」と言って謝ると、その人が言った。
「あ、分別するのも私らの仕事!そんな細ごましたことに気ィ使わんと、病気や手術で入院したはる時ぐらい、大っぴらに寝ときはったらよろしいで。痛うて辛うおす(痛くて辛い)時に、私らにまで気ィ使うてくれはっておおきに。ま、大っぴらに寝といて下さいや」―と。
 術後の激痛の辛さでずっと泣いていた涙が訳のわからないあたたかい涙に変わったような一瞬だった。主婦の日常に思いを馳せられる人なのだと思った。何とやさしい初対面のオジサン―。病棟個室の片隅で、こんな人と出会えて良かった―。本当に「ものは思いよう」と思った。薬で助けられなくても「人」に助けられた思いがした。そうか、入院中くらい、大っぴらに泣いて大っぴらに寝とけばいいんだな。(ちえ)