みんなの音楽 第10回 エッセイ
「一流」を生きるということ ――北村智恵
~ムジカ工房通信80号「胸にしまっておけないドラマ」より転載
ムジカ工房が主催する今年の「希望コンサート・みんなの音楽」は六月二十九日(日)に開催された。いつの間にか第10回を迎えた。ということは、このコンサートの主旨に賛同し毎年開催することを目ざして聴衆の側から立ち上げられた「サポーター会」が結成されて九年も経ったことになる。日本でも世界でも、今やサッカー・チームのサポーター会は当然のように存在しているが、クラシック音楽のコンサート開催を維持するために生まれ存続しているサポーター会など、本当に他では聞いたことがない。しかも、東北大震災以後、毎年、コンサート開催にかかった費用の残額を被災遺児たちへの義援金とすることに決定して以来、それ以前よりサポーター会費の振込額が増え、会員の人数そのものも増えた。「音楽」が人の役に立ち、「音楽」で人々が繋がっていく事実を本当に嬉しく思う。孟子ではないが、私は人間の性善説を信じている。人は誰しも、本当は、困っている人の役に立ちたい、助けたい、弱者をサポートしたい、というような感情を持っていると信じ、だがそれをどう具体化すれば良いのかその方法を持てないでいる人も多いと思うのだ。少なくともこちらが一生懸命やれば、そのことに賛同し、賛同から支持へ、支持から協力へと、人々の力が大きく変わってくることを私は実感している。スタッフの人数も今年は五十名近くになり感謝で胸が一杯になった。二十年前の阪神大震災直後から、被災遺児・孤児たちが高校・大学進学を果たすまでと決めて続けたチャリティ・コンサートの十年間、そしてそれが果たされた後に始めた「希望コンサート・みんなの音楽」――高齢者も障がい児・者も、経済的余裕のない人も、みんなで「感動」を分かち合って元気になろうという主旨のコンサート――も、私達夫婦が自己負担して有志のスタッフと共に開催したのは第一回のみで、そのときの聴衆の感動が「サポーター会」を生み出し、以降、その直後から現在に至るまでずっと、三百名を超える、北海道から沖縄までの全国のサポーター達に支えられてこのコンサートは存続している。身体障がい者や視覚障がい者はもとより、幼児や知的障がい児・者の来場ももちろんOK。会場の聴衆全員が、そういう人たちにコンサート・マナーを伝える「教育の場」にもなるよう、「入場無料」で開催している。だが演奏は常に「一流」であること、ハイ・レベル、ハイ・クオリティーであることをキープしてきたつもりでいる。このようなコンサートでは、主旨に賛同してサポーター会員になったりコンサートを聴きに来たりする人もいる。そんな人に、「だからクラシックは解からない」とか「初めて聴いてみたけどつまらなかった」と思われてしまったら、あとが続かなくなってしまう。内輪の会や、門下だけのコンサートではないのだから、どの楽器やどのジャンルであっても、常にプロの品格、技術、音色、そして何より精神や心が本ものでなければ、あらゆる聴衆層、すべての人々を納得させたり感動させたりはできないと思うし、アマチュアでも、プロにない瑞みずしさやひたむきさがあってこそ感動させる。今年ドイツ歌曲を歌ってくれた脳性麻痺の後遺症を持つ青年、松下耕典君のように――。
しかも私は、西洋の音楽だけでなく、日本のクラシック、つまり日本の伝統芸能をも同様に馴れ親しみ身近な音楽として聴けるようになるチャンスを提供したい、と思っているので、これまでもずっと、箏、琵琶、尺八、京三味線等の音色や音楽そのものを楽しんでもらえるプログラムを組んできたつもりだが、今回、十回記念にふさわしい舞台を見聞きしてもらうことが実現できた。三十数年来、信頼し合ってきた友人で、金剛流の能の会のとき、長年解説を書いたりしてきた人だが、彼が思いがけなくも金剛流の若宗家にこの会の話をしてくれたことで、私は一年前に「みんなの音楽」の説明と、正式なお願いをしに金剛家へ伺った。御母堂共にとてもよく理解して下さり快諾して頂けて、自分でも「普通あり得ない話」だと思い、帰りの足取りが軽くなったことを憶えている。
能に限らず、「芸」の道は厳しい。古典芸能においてはあらゆることが厳格で、人の上下関係も克明であり、長年そのような世界にいる人には実直で律儀な人が多い。そのことが外の世界の人々から「格式ばっている」とか「堅苦しい」と誤解されることに繋がる場合もあるかも知れない。だが私は、自分が精一杯誠実であろうと努力していれば、そういう「一流」の世界を生きている人達の細やかな配慮や思いやり、誠意などが見えてくると思う。日頃、高額な経費を要する舞台で能を演じている人達である。チャリティということで今回まったくのボランティアで若宗家を含め四人の能楽師が出演して下さることになったが、「能舞台」ではなく、コンサートを行うホールの床なので、事前にそのことを相談し、せめて所作台だけでもと話すと、「チャリティ・コンサートですから、くれぐれも余分なお金がかからないようにして下さい」と言って下さり、一番近い楽屋から舞台袖まで足袋が汚れないよう何か敷物を用意しようと思っていたら「スリッパだけでいいです」等、少しも堅苦しくも格式ばってもいない返事を頂き、本当に有難い人達だと思った。結局、使用料が予算内だったので、最低限の所作台だけ借りて、仕舞(一曲の見せ場である独立した一部分を、主役一人が紋服・袴の姿で地謡だけで舞うこと)と、連吟(謡曲を二人以上で声を揃えてうたうこと)が演じられた。二番目物(修羅物)の中から「田村」(坂上田村麻呂の霊が旅の僧に、鈴鹿山での鬼神を討伐したときの様や武勇伝を語る物語)のキリ(一曲の終りの部分・切能)、三番目物(女性や草木の霊を主人公とする曲)の中から「羽衣」(有名な三保の松原の天女の物語)のクセ(一曲の中心的な部分。舞いどころ・聞かせどころ)、五番目物(鬼畜物)の中から「殺生石」(鳥羽天皇の宮廷に仕えた狐の化身が殺されて石と化し害をするのを、後に玄翁和尚が法力により成仏させるという物語)の仕舞に続いて、四番目物(狂女物や遊狂物など雑能)の中から「放下僧」(大道芸人に身をやつした兄弟が、ある神社で親の仇を討つ物語)の中の「小唄」の連吟。最後はプログラムに変更があって、若宗家による仕舞「熊坂」だった。「熊坂」は熊坂長範(長範頭巾で有名な平安末期の伝説的な盗賊)が牛若丸に討たれる物語で、足のみならず長刀(なぎなた)を使うのでその所作や舞台を打つ音のリズム等、とても迫力があり、おそらく初めて仕舞を鑑賞する素人の人達に対する、若宗家の配慮による変更だったのではないかと私は思っている。小学二年生の私のピアノの生徒が、終演後その所作を真似て、「足をドスンとするのが一番楽しかった」と言っていたことを思い出す。若宗家の配慮は幼い子どもの心にも届き、残っているのだ。
さて、そんな四名の能楽師の出番終了後は、即、着替えて帰ってしまわれることも当然あり得た。楽屋担当のスタッフはその場合のことも想定して準備していたと思う。ところが何と、全員そのままの姿で、コンサート最後の会場全員合唱に参加するために残って下さっていた――。しかも、当日出演したソプラノの女性(実は私の教え子)に、その歌を教えてもらいながら、日頃無縁の楽譜を手に楽屋で練習して下さっていたという。最後まで残って舞台で皆と一緒に歌うために――。
私にとってはまさしく胸にしまっておけないドラマだった。何という誠意、何という誠実さ。最後の舞台でその姿を見つけたとき、感動と感謝の気持ちで胸が一杯になった。
これが「一流」を生きる人たちの生き方なのだと、心の底から思った。
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