ようこそ。ムジカ工房&北村智恵のWebサイトへ。

ムジカ工房は、音楽教育家・北村智恵をサポートする、小さなアトリエです。
北村智恵ピアノ教室、コンサートの自主公演、ピアノ指導者セミナー開催等、行なっています。

レッスンQ&A


Q21 エスプレッシーヴォで弾かせるためには?
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q21

「祈り」、「夏の名残りのバラ」、「アニーローリー」など、テンポ・ルバートしたい叙情的な曲がどうしても機械的な演奏になってしまいます。
こちらが弾いて聴かせると、何となくまねはできますが、自分でテンポの揺れを感じ表現するところ まで育てられていません。
エスプレッシーヴォをこの段階で体験し、表現を求めるのはこのテキストの大きな特徴だと思うのですが、私の力不足で、指導しきれずにここまできてしまいました。
せめて最後の「オーバード」は美しく仕上げて終わらせてあげたいのですが、今の段階ではどのように指導すればよいのでしょうか。

(回答:北村智恵)
→「エスプレッシーヴォをこの段階で体験し、表現を求めるのはこのテキストの大きな特徴」だと本当に思ったのであれば、「私の力不足で、ここまで来てしまった」ことなどあり得ないことです。はっきり言うと、「力不足」なのではなく、「思いの強さ不足」だったのだと思います。結局、今日まで妥協してきてしまったということではないでしょうか。導入の大切な時期に妥協してここまで来てしまいながら、最後の曲だけを「美しく仕上げて終わらせてあげたい」というのは、ある意味で無責任な、虫のいい話だと思います。
 もしも機械的な演奏をしている生徒がいたら、私は、その時点で「この演奏は音楽ではない」と、はっきり断言します。幼児で あっても、「障害」を持った生徒であっても。
 理由は簡単です。聴いていて楽しくないからです。そして「楽しくない」「美しくない」ことの原因は、「心がこもっていない」からです。
 一般に先生は生徒に対して、よく、「もっと心をこめて弾きなさい」と言うのですが、「心をこめて」というのがどういうことなのか、先生は、生徒に、具体的に解らせているのでしょうか?
 私は自分の生徒に、「心をこめて弾く」というのは、「聴いている相手や、誰かのために弾くということだよ」と教えています。聴いている誰かが、気持ち良くなったり、幸せな気分になったり、楽しくなったり、元気が出たり、心が落ち着いたり、安心したり...等々、聴いている人がそういう気持ちになれない演奏は、自己満足(自分勝手)の演奏であって、それは本ものの 音楽ではない、と言いきり、絶対に妥協はしません。本人がテンポのゆらぎやディナーミクを感じていないのに、他者を感動 させたり心地よくさせたりなどできるはずがないのです。どんなに指がよく動いても心が動いていないのは、「上手に弾く」ことしか求めていない証拠です。「楽しく弾く」ことや「聴いている人が心地よくなるように」という思いを育てる本気を、指導者自身がまず持たなければ――。その本気があれば妥協など絶対あり得ません。先生の心のどこかに、「この子は情緒がない」「センスが良くない」「音楽性がない」と、その子のせいにしてすませている自分はいませんか?
 厳しいようですが、もし私が、ある生徒に妥協して進んでしまい、3巻も終りに近づいた頃、そのことに気づいたとしたら、(私なら)その子に謝って2巻に戻させてもらい、もう一度、今までやったことのある曲を、今度はディナーミクやテンポの変化などの表現力を養うためということを目的にやり直しさせてもらいます。技術的な余裕と読譜の苦労のないことで、今度こそ「求められるもの」に集中して、余裕を持って(楽しんで)弾けるかも知れません。本のページの進むことだけが進歩(上達)なのではなく、音楽性の深さ・豊かさこそ本当の「進歩(上達)」であると私は本気で思っているので、堂どうと「戻る」ことができます。そして少しの変化でも堂どうとほめてあげることができます。
 最後の曲だけで辻褄を合せる(恰好をつけて終らせる)ことなど私にはできません。よけいに無責任なことになると思うからです。
 あえて言うなら、先生の、その「本気」こそ、生徒を変えて行くと思うのです。
 「育てたように子は育つ」――家庭における子育ても、ピアノのレッスンも同じだと思います。どんな子もみくびらず、信じて、徹底的に「音楽性」を求めてきたとしたら、本当はそんなことは絶対起こらなかったはずだということを肝に命じて、その子と共に、ある時点まで戻って、今度こそ「二人三脚」(その子の歩幅で歩むこと)をやり直してみて下さい。そのときこそその子は、きっと心の底から理解してくれると信じます。



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Q20 子どもの想像力を引き出すには?
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q20

楽譜どおりに指示されたことはできますが、"どのように弾きたい"とか、"その曲の課題を深く、いろんなヴァリエーションで弾く"、"その曲のイメージの絵を描く"、というようなことがとても苦手な生徒がいます。
想像力が乏しく、一つの課題に深く取り組めないのです。
教室の皆の集まる会にも出席しません。同じ教室の、素直な子、想像力が豊かな子との差は歴然としています。
指導者としての未熟さを反省しますが、このような子だからこそ、このテキストが必要なのではないかと思います。
どうにかしてその子を救いたいのです。良い方法を教えてください。

(回答:北村智恵)
→まず、「救う」という発想自体が傲慢ではないかと思います。「理想」があって、それに近づきたい気持ちがあり、努力しているのに良い結果が得られない、という認識が本人の心の中にあるのであれば、「救いたい」「救ってあげたい」という発想は成り立ちます。でも、この場合、本人の中に「求めているもの」が何もないのですから、先生の側から「救いたい」気持ちと思っていることでも、本人にとっては「大きなお世話」かも知れないのです。
 このようなタイプの子どもが、最近、一般的には増えていると思います。でもよく考えてみて下さい。今、ピアノの指導をしているすべての先生が、自分の子ども時代、なかんずく幼児期から、"どのように弾きたいか"、"その曲のイメージの絵を 描く"、"いろんなヴァリエーションで弾く"というようなことがすべて、できていたと言えるのでしょうか?そして今、指導者である自分も生徒といっしょに同じだけそのことを実践していると言いきれるのでしょうか?頭でそう思っていたり、口でそのように言い続けていたとしても、未経験、体験不足の子どもたちにとっては、「具体性」のないことなので、求められていることの意味さえ解っていないというのが現実ではないかと思います。
 私は四十余年間のピアノ指導の中で、自分もパスと絵筆を持ち、子どもたちと同じ画用紙に絵を描き、また「こんなふうに弾きたい」と答えられない(表現できない)生徒には、いくつかの異るイメージをこちらから提示して、「このうちのどの 感じ(がする?)(に近い?)(にしたい?)というふうに、"選ぶ"ことから始めます。そういう具体性の中から、二者択一、三者択一、四者択一、五者択一、十者択一...を、何ヶ月も何年もかけて、考える力、想像する力、発想する力というものを学んで行くのではないかと思うのです。「模倣」も「選択」も、先生の持っていき方ひとつで「個性」の芽生えともなり、「発想」や「想像力」の豊かさにも繋がります。
 その子は今まで「良い大人」に出会ってきていないからそういう状態なのであって、その子が悪いのではありません。その子の親の問題であり、家庭のあり方の問題であり、幼稚園や保育所や学校等、周囲のすべての大人の生き方がその子に反映されていると考えるべきでしょう。そしてその中に、「ピアノの先生」という自分は、具体的に何をしてきたかということが、今、問われているのだと思います。教室での取り組みに参加しようとしないのは、その魅力や楽しさを知らないからであり、保護者や本人に、そのことの重要性をどれだけ理解してもらうための努力や工夫をし続けてきたか、その具体策の準備こそ、本当は、先生(指導者)の力量そのものだと思います。楽をして良い結果は生まれません。
 「救う」のではなく「共に歩む」(=共に何かと闘う時期もあるはずです)ということ、そして、「良い方法」ではなく、そんな子どもだからこそ、具体的には、「模倣」「選択」を利用して「個性」や「発想」や「想像力」や「創造力」に繋げて行く工夫と努力をしましょう。それが「育てる」ということです。「救う」のではなく「育てる」ことで、指導者としての自分も「育つ」はずです。おっしゃるとおり、『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』は、きっとそのことを可能にしてくれるはずです。



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Q19 「モペットちゃんのおはなし」の左手がうまくいかない
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q19

3巻の「モペットちゃんのおはなし」には、左手にも16分音符のすばやい動きが出てきますが、生徒が弾くと、特に左手の1-2-3-4-5の指づかいの音型で、音が重なって濁り、粒も揃いません。
曲のイメージから、速いテンポで弾きたがるのですが、どのように指導すればよいでしょうか。

(回答:北村智恵)
→この曲「モペットちゃんのおはなし」の学習目的は、その初出事項として導入されている16分音符と16分休符への理解、及び、その演奏です。逆説的な言い方をすると、この曲の演奏を通して、生徒は16分音符や16分休符というものを理解できるようになる、ということです。
 左手の16分音符の音が濁ってしまうということですが、それをどうみなすかということが、一人ひとりの生徒への「キー・ ポイント」となります。
 この曲を弾くにあたって、それぞれの生徒には、以下のいくつかのタイプの演奏が予測されると思います。
①16分音符のリズムが、4分音符の均等な4分割になっていない。
  (右手も左手もリズムくずれを起こしている段階)

②左手のみリズムくずれを起こす。

③16分音符の粒は揃っていて、右手の違いも弾き分けられるが、左手の違いが弾き分けられない。

④左右とも16分音符のリズムくずれはなく、両手ともの違いが弾き分けられてはいるが、16分音符の音階のところで両手とも音が濁ってしまう。

⑤リズムくずれはなくの違いも弾き分けられてはいるが、左手の音階のみ音が濁ってしまう。

⑥両手とも、リズムくずれもなく音の濁りもない。

以上①~⑤のうち生徒自身が、
●練習が足りないからそういう状態。
●練習は、年齢の割に丁寧によく努力しているが、2~3週間そのような状態でも、自分がなにができていないのかということが 自分の耳で判断できている。
このうちのいずれの状況にあるのかによって「みなし方」を決めます。
 つまり、⑥の場合は完璧な演奏であり、3~4週間でこのことが可能と予測が立つならできるまで待ちます。
 ①~③までの段階の場合、必ずできるまで、①②③とも妥協せずに必ずやりとげなければなりません。なぜなら、記号にあるアーティキュレーションの違いの読み取りが正しく音で表せなかったら、「メソッドとしての役割り」を果たしていない ことになります。「メソッド」とは、「演奏を通して楽典を学ぶ本」だからです。
 ④⑤の段階で、3~4週間かけても改善されない(音が濁ってしまう)ような状態であれば、そのこと(音が濁っているということ) の認識(=自分の音が自分の耳で聴けている)だけ持たせて、次のページに進みます。
 なぜならこの先は「技術」の問題であり、技術(テクニック)をつけるのは「エチュード」の段階ですることだからです。
 ④か⑤か、どちらまで求めるかということは、その子の力量や性格に合わせて、先生が決めるべきことと思います。
 要するに、「メソッド」と「エチュード」の目的の違いをわきまえて、どの段階をもって「できた」とみなすか、が、将来を見据えた指導に繋がるのではないかと私は考えています。
 ただし、生徒本人に、「音が濁っている」ことの知覚がなければ、その知覚(認識)を持たせるところまではやりとげなければなりません。
 その悔しさが向上心となり、エチュード期に入ったら、必ずや自分で求め、美しい音で歌わせて弾くことを生徒本人が努力する ようになると信じます。
 「自分への課題」を持って「エチュード」に進む──すばらしい導入ではありませんか?



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Q18 読譜が速くなりますか?
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q18

少ない課題で音楽の本質をきちんととらえられるこの本と出会って、とてもレッスンが楽しくなりました。この春、やっと一から教える生徒が入ってきたので、この本1冊だけで、レッスンしていきたいと思っています。そこで一つ不安なのは、読譜に関して、です。
たくさんの曲をしなくても、音符がすぐによめるようになるでしょうか?
音符カードを使ってすぐ反応できるように、最初のときから訓練したりするといいのでしょうか?

(回答:北村智恵)
→初めに、私のほうからお訊ねしたいです。「読譜」とは何か、「音符がすぐ読める」とは何か、「音符カードを使って すぐ反応できる」ことが「ピアノを弾く」ことにおいてそれほど重要なことなのか、という点についてです。
 一般に、巷の音楽教室では、「音符カード」なるものを使って、それを見せたとたん、「ソ!」とか「ド!」とか、フラッシュカードのように、音名を口で言えることを訓練している様子をよく見聞きします。でもそれが「譜が読める」ということなのでしょうか?もしそうだとしたら、それほど「譜が読める子」ばかりたくさんいる(はず)なのに、なぜ自分で自分の音楽を組み立てたり、自分から練習に向かい自分で仕上げて自分の「表現」としての演奏のできる子が、日本にこんなにいないのでしょう。また、音符カードなるものを見て、「ミ!」だの「ソ!」だのとすぐに反応できる子が、鍵盤位置も含めて、きちんとすべての音高を理解・把握しているのであれば、例えば発表会などの舞台で、オクターヴ上やオクターヴ下の間違った ポジションで弾いてしまっている例を、どのように解釈すれば良いのでしょうか。
 私は、多くの指導者が、初めのこの前提のところで大きな誤りをおかしていると考えています。『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』がなぜ他の本を使わなくてよいのか、原点に戻って考え直していただきたいのです。
 音符がすぐ読める=暗記しているだけで、「理解」していない場合があることを見逃していませんか?
 また、「早く」や「速く」はそんなに大切なことですか?

 何のために?

 「憶えさせる」ために「音符カード」は必要かも知れませんが、「理解させる」ためには、「音符カード」など要りません。
 子どもというものは(大人の初心者でも同じですが)理解さえすれば自分で譜が読めるようになります。そのためには、①最低限の正しい「知識」と、②それを応用する「知恵」が身についていなければなりません。そして、①と②を合わせたものが、その子にとっての「情報」であり、その情報処理を、自分ですること、そこに時間をかけることが、その力の育成であると私は考えています。そして、そのことを繰り返していくうちに、だんだんとそこにかかる時間が短くなって行き、本が進むに従って仕上がりまでの日数が短くなって行くということです。私は、この3巻(3冊)を、そのための時期にあてることに意義があると考えています。そういう考え方の指導者は、「早く」や「速く」や「すぐ」という呪縛から自分自身を解放し、発想を変えなければ、この本を使っても意味がないと思うのです。
 具体的に言うと
は同じ音。


中央のドの音とト音記号の第1線の音(ミ)の間にはレの音が1つあるだけ。
中央のドの音とヘ音記号の第5線の音(ラ)の間にはシの音が1つあるだけ。

③ ②からもわかるように(何週間か何ヶ月かかけて体験すること)世の中のすべての音は、「線」と「間」をたどって 1つずつ順番に上下する。

 ①をきちんと理解させ、②をゆっくり体験し(つまり、ヘ音記号の第5線からト音記号の第1線までの間に音が5つあることを 理解し認識する) 以上①と②は、子どもが理解できるよう、教えなければならない最低限の知識です。また、③も基本的な 知識です。そしてそのあと、①②③を組み合わせる知恵が、その子の読譜力となるわけです。すべての音をカードで「おぼえる」 のではなく!
 この「知恵」を育てるところになぜ時間をかけてはいけないのでしょうか?
 初めの時期に、きちんと時間をかけて理解させ、最低限必要な知識のみ身につけさせたことを確認できれば、あとは それらを組み合わせる応用力(知恵)を育てるだけで充分です。音楽やレッスンが楽しければ子どもは自分でどんどん譜読みし、 練習してきます。
 ちなみに、私の生徒は、ダウン症その他、知的障害を持っている子どもも含め、私が教えてきた生徒全員、譜が読めて、毎週自ら、自分で楽しんで練習してきていることを言い添えておきます。
 知識の数や「早く」「速く」「すぐ」の訓練よりも「知恵」を育てることに時間をかける時期が大切ということではないでしょうか。 もっと子どもの力を信じましょう。



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Q17 ペダルを使うときの注意点は?
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q17

『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』は、初出事項としてのダンパーペダルは、3巻の最後「オーバード」のところに出てきますが、それより前にもペダルを使った方が素敵に聞こえる曲がたくさんあると思うのです。
生徒の発達段階に応じて、こちらからペダルの提案をしても良いでしょうか?
その判断の基準や、ペダルを指導する上での注意点などを教えてください。

(回答:北村智恵)
→どのピアノの本でもそうですが、その本にペダル記号やペダルを使うことの指示が書かれていなくても、使えるのであれば、やはりペダルは使うにこしたことはないと思います。というよりも、むしろ使うべきだと思います。なぜなら、現代のピアノの「楽器」としての生命は、まずは「音色」の豊かさ・美しさにあり、その点においては、ノー・ペダルのときの音よりも、 ダンパー・ペダルを使用したときの音のほうが、音色は格段に豊かで美しいものになるからです。
 そういう意味では、その目的を果たせる条件にあるかどうかということが、その生徒に対して、ペダルの指導を導入するべきか、ないまま進めて行くべきかということの判断基準になると思います。
 具体的に言うと、
1、年齢に関係なく、足の裏全体が床に届き、踵を床につけたまま足先だけでペダルを踏むことができる。(補助ペダルは踏み外し が直接ではないうえ、不自然な力を入れる癖がつきやすいので、できれば避けたい)
2、どの曲でも、それが暗譜で弾けて、自分の音を余裕を持って聴ける段階になってからしかペダルは提案しない。
3、ポリフォニックな曲にはペダルを用いない。和声的な楽曲のみペダルを用い、和声の変わり目にペダルの踏み替えをする。
等、一般的な諸注意と同じです。
 ダンパー・ペダル導入のタイミングとしては、2巻「とおい国のおはなし」で、倍音による「響き」を聴く指導を行ってから以降。最初の曲は「しずかなみずうみ」「みずうみにうつる月のひかり」であることが望ましいと思います。
 全巻通じて、ペダル使用の可能な曲は以下のとおりです。
2巻:春風、夕べのかたらい、夕べのかね、グリーンスリーヴス、雨の中のフィッシャーどん、いつかどこかできいたうた、 美しい泉
3巻:丘の上、祈り、グロースターの仕立屋さん、夏の名残りのバラ、アニーローリー、オーバード
 いつの場合でも、自分の耳で自分の音をよく聴き、その場その場でふさわしい効果となるようにペダルをコントロールします。



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Q16 「みずうみにうつる月のひかり」の左手の和音
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q16

2巻の「みずうみにうつる月のひかり」の左手にある2度の和音の響きを、受け入れがたく感じる生徒がいます。ドビュッシーの曲の和音を弾いて聴かせたり、絵の具を混ぜ合わせて色を作るときの色のにじむ様子を話したりして説明しますが、感じることが難しいようです。
このような、響きを感じる感性が乏しい子どもをどのように導けばよいのか、意識して指導していくべき点を教えてください。

(回答:北村智恵)
→私が今とても不思議に思っているのは、「みずうみにうつる月のひかり」の左手にある2度の和音(短2度のことですよね?) の響きを、その生徒さんが「受け入れがたく感じている」という判断を、先生が、いつ、どこで、何を根拠にされているのだろうか ということです。
 幼い子どもには「受け入れがたいもの」など本当はあまりないと思います。受け入れがたく感じているのではないかと、先生自身 が偏見で思っている場合が往々にしてあるかも知れません。
 また、もしも本当に受け入れがたく感じているとしても(幼い子どもの場合、滅多にないことですが)、その時点で「響きを感じる感性が乏しい」と決めつける先生のその姿勢が問題だと思います。なぜなら、その子はきっと、それまでの間に、そういう響きを頻繁に聴く(体験する)環境になかった、ただそれだけのことであり、これから自然に、そういう類の美しい曲を聴いたり弾いたりする、体験の設定を増やせば良いだけのことだと思います。初めて出会った曲で違和感がありそうだからといって、急に、ドビュッシーの曲を聴かせたり、絵の具の混ぜ合わせのにじみの話をしたり、そのような説明をすること自体が、生徒に対して、それが何か「特別なこと」と思わせたり、漠然とした劣等感や不安を持たせてしまうことにも繋がりかねません。
 子どもは理屈ではないのです。「習うより慣れよ」という言葉は言い得て妙です。また、音に対する感性の良し悪しは、多分に 環境によるものです。たまたまそれまで、そのような環境にはなかったというだけのことであり、それは、馴れていないだけで、「受け入れがたく感じている」と捉えるのは、私は、その子をみくびってしまうことような気がします。
 一つの例ですが、聴音のレッスンで、間違いをチェックし、点数をつけてまで「評価」する(できていないことを認識させる)ことはその子を伸ばすでしょうか?私は、それよりも、聴くことや書くことを1回でも多く繰り返すことがその子を伸ばすということを実感しています。音に対する感性も、何年もかけて自然に通り過ぎて行く中で、特別なものとせず、「習う」より「慣れたもの」として身につくと思います。その際、兄弟姉妹や教室の仲間、先生も含め、誰が弾く曲も、またCDやコンサートも、すべてその子の環境なのです。



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Q15 1冊だけでレッスン?
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q15

「ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本、1冊だけ」でレッスンを進めていく勇気がなかなか持てず、私は、今まで使っていた バスティン・メソードに、『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』を加えるかたちで、数人の生徒に使っています。
自分に自信がないことも原因の1つですが、「たった1冊、たった1曲だけで30分のレッスン時間を持てあましてしまったらどうしよう」という不安や、「1週間でこんな薄い本の1~2ページしか進まない(教えない)なんて、この先生、一体、何をしているの?」と親御さんに思われないかということもとても気にしていました。
北村智恵先生が行われている具体的なレッスン内容を知るにつけ、少しずつ納得はできるのですが、やはり「1冊だけしか使わない」ことへの勇気のようなものがまだ持てないでいる状態です。
「リトルピアニストのつどい」で、北村先生の生徒さんの演奏を聴くと、皆さん、とても音がきれいで、しかも、自分の音、自分の表現、自分の音楽、といったその人それぞれの個性のようなものを感じて凄いなあと思うのですが、やはり本当に、北村先生は『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』1冊だけで導入期のレッスンをしておられるのでしょうか?
本当に本当に1冊だけでエチュードまで繋げておられるのでしょうか?

(回答:北村智恵)
→本当に本当にそうです。(笑)
 このことは、よく、いろんな先生から訊かれますが、本当に私は、『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』1冊だけで導入し、音楽の総合的な力を、この本を使ったすべての生徒につけてきたつもりです。内容が充実していないから何冊もの本を使わな ければならないのではないか、と、逆説的に考えることはできませんか?また、保護者にどう思われようと、その生徒の「音」と「笑顔」だけで充分ではありませんか?
 バスティンに限らず、初めから、数字による拍子記号がでてきたり、拍節感を充分養う前から2分音符や付点2分音符、全音符が でてきたり、(覚え込み、数えることでしか正しく弾けない=リズムを感じないまま長さだけ数えて正しく弾けたらマル?)── 書けばきりがないほど、子どもへのピアノの導入期レッスンは、あまりにも「音楽」の本質からかけ離れたことの連続だったと思います。
 本当の勇気とは、「人のために何ができるか」「誰かのために、どこまで優しくなれるか」ということだと私は思っています。
 一人ひとりの子どもたち、かけがえのない、一人ひとりの人間を、本当に愛していれば、それは簡単にできることです。
 私はこれまで三十数年間、いろんな勉強をしてきましたが、そのこと(あること)を取り入れるか否かの判断基準ははっきりしていて一度も迷ったことがありません。「音楽」を本当に愛している人間は、「音楽」に対して妥協はしない、そして、子ども(人間)を本当に信じ、愛しているのなら、自分は加害者になりたくない、この二点が私の判断基準です。そうして 一度決めたことは、すぐに結果が出なくても、周りの誰が何と思おうと、絶対にあきらめないで努力し続ける──選ぶ、取り入れるということはそういうことです。
 結果は子どもたち(生徒)が出してくれます。私たち指導者は、信じて待つしかないのです。一人ひとりの子どもたちの「音」と「笑顔」だけが目安です。そして私は子どもたちに裏切られたことは一度もありません。
 自分はどう生きたいかと自分に問いかけて生きて行けば、レッスンのあり方は自ずと定まってくるものです。まして保護者にどう思われるかを気にする余裕など私には今まで一度もありませんでした。「音楽」に対して、レッスンに対して、「理想」を持ち続け、それを実践する勇気は、一生懸命それをし続けることでしか持ち得ないと思います。
 良いと信じられるものに出会ったら、迷わずそれを実践し続ける一生懸命さ(=本気)を持つことが、唯一の解決策だと思うのですが...。



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Q14 技術的な訓練にも利用?
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q14

『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』では、その内容表現に相応しいタッチで弾くことを要求されていますが、その曲を、本で指示されていることとは異なるタッチで弾かせたり、異なる奏法で弾かせたりすることは間違いなのでしょうか?
技術的な訓練にも利用したいと思っているのですが─。

(回答:北村智恵)
→間違いではありません。私は自分のレッスンで、ほとんどの生徒に「本のとおりではないこと」を課題として要求しています。そして、それは、技術的な訓練にとどまらず、むしろ、そのことこそ「音楽」の本質なのだと考えています。
 たとえば、1巻の最後の曲「かあさんのこもりうた」は、やさしい音でなめらかに弾くことが要求される標題ですから、必然的に、 メゾピアノもしくはピアノのレガート奏ということになりますが、それができた時点で私は、別の課題を追加します。具体例を あげてみると、
①手はレガート奏のまま、左手の4分音符をすべて元気の良いスタッカートで弾く (「『ルンルンかあさんのこもりうた』にしよう!」と言います。)
②左手はそのポジションのままレガート奏で弾き、 右手のみオクターヴ上げて軽いスタッカート で弾く(『ピツィカートこもりうた』にしよう!→ヴィヴァルディの「四季」の中の「冬」の2楽章やJ.シュトラウスⅡ世の「ピツィカート・ポルカ」などをレッスンのときに聴かせておき、右手のポジションと奏法(レガートからスタッカートに) が変わるだけで音楽の印象が大きく変化することを体験する。左右の手のポジションが離れることにより、鍵盤を広く使う 訓練にもなるうえ、ついでにクラシックの弦楽合奏やオーケストラ作品にふれることにもなり、知識や音楽体験も豊かになる)
③全体を2オクターヴ下げてレガートで弾く。(『ぞうのかあさんのこもりうた』にしよう!)
④全体を2オクターヴ下げて、左手だけマルカートで弾く。(『ぞうのとうさんのこもりうた』だぞー!)
等々、総合的な技術の向上が望めます。そして、あえていうならば、それらは技術の訓練にとどまらず、それこそ、「表現」の ために必ず技術はついてくるということの証しです。「表現」したいものや音楽性を幅広く求めていくから、さまざまな技術が ついてくるということです。常に音楽的であることや表現力を優先させていけば、必ず本もののテクニックが養われるということに 他なりません。
先生と呼ばれる人は、楽譜に忠実に、書いてあることを誠実に演奏することを教えると共に、その楽譜を利用して、タイトルを 変えて弾かせるくらいの発想をもっていなければなりません。良いレッスンとは、豊かなレッスンのことではないでしょうか。
 1巻でもこれらのことが充分可能なのですから、2巻・3巻の中の曲に対しては言うまでもないことです。



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Q13 同じ本を使っても良い?
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q13

子どもたちが初めて出会う「メソッド」に関して、北村智恵先生は昔から、兄弟姉妹では同じ本を使わないということをよく言っておられました。
私は、『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』は、きょうだいでも同じ本を使って教えたいのですが、それはいけないことなのでしょうか?

(回答:北村智恵)
→かつて私は、きょうだい関係だけではなく、近所どうしの子どもや、学校で同じクラスの子どもたち等にも、絶対同じメソッドは使わないということをモットーにしていました。
 そのことの主な理由は
①進度(ページが進むこと)に対する競争心が生れ、1曲1曲に時間をかけて「音楽」に没頭させることが困難になる
②耳から聴き覚えて弾いてしまい、読譜力が育たなくなる
③子ども本人に問題はなくても、親が進度を煽って競争させることが起こり得る
等です。
 そのことについての原因ははっきりしています。これまでの「メソッド」は、楽典を学ぶために、ただ、本(楽譜)に 書いてある音を鍵盤に移しかえる作業をするだけでマルがもらえる、つまり「正しく弾けたらマル」という内容にすぎず、誰もがページの進度によってしか評価されない、そういうあり方だったからです。習い初めの大切な時期に、そんな間違った 習い方、間違った練習の仕方、間違った心構えを身につけてほしくないから、きょうだいで同じ本を使うことは避けたかったのです。1曲1曲に没頭し、音楽性を身につけ表現力を身につけて「音楽する」ために、「競争」などあってはならないことだからです。
 さて、『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』は、1曲1曲に標題が与えられ、その標題や、その絵にふさわしいイメージを音に託して、つまり、音で何かを表現することが「音楽」というものであるということを、1巻の1曲めから学べるようになっています。すべての曲において「表現する」ことが目的となっていて、どんなにすらすらと正しく弾いても、イメージが伝わらないような音や演奏であれば、何週でも考え、感じ、創り直し、おさらいします。
 時には一緒に絵本を読んだり、楽譜についている絵を見て話合ったり、先生と生徒が共に創りあげていく世界やイメージは、一人ひとり異るはずです。もちろん「表現」のし方や音の微妙なニュアンスも一人ひとり違うと思います。それを引き出すことに、何週かかろうとも、「進度を競う」ことではなく、あえて言うならば、1つ1つの音や1曲1曲へのこだわり、──その音楽の「深さを競う」ことにしか繋がりません。それはむしろ良いことだと思います。ふさわしい音を出すために、必要な音を指の タッチで創る、思いどおりの表現ができるよう音質・音量・音色を変える、そのイメージのためにテンポ・アップして弾く、もっと歌のように、もっと踊りのように......etc.
 『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』なら、きょうだいで同じ本を使うことは、むしろそれぞれの発想の違い、表現の違いを 確認し合えて、お互いのためにもなることだと思います。(何より先生は、両方の生徒を、異る視点でほめることができて楽しい!)
 私は、自分の生徒には、きょうだいだけでなく、親子にも、祖母と孫にも、同じ『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』を使っています。共通の話題と比べ合いで、それぞれ「ピアノ友達」になりました。
 曲順の番号もついていない本です。しかも内容は「音楽すること」そのものの本です。競争になりようのない本ですが、もしもそうなってしまったとしたら、それは、指導者の側に問題があるか、指導力がないかのいずれかだと思います。
 本の内容を教えるのではなく、本の内容で教える、それが『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』の理念です。



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Q12 『バーナム』を併用しても良い?
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q12

『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』を導入からレッスンに使って、今、2巻の終わり頃まで進みました。
そろそろ『バーナム』などの、指のメカニズムのための教材を併用したいと考えていますが、どのようなタイミングで与えたらよいのか教えてください。

(回答:北村智恵)
→『バーナム ピアノテクニック』には、ミニブック(紫色の表紙)と導入書(オレンジ色の表紙)、そしてそれらに続く 第1巻(ピンク色の表紙)から第4巻(青色の表紙)、及び全調の練習(茶色の表紙)、と、合計7冊のテキストがあります。
 一番易しいのは「導入書」ではなく、「ミニブック」です。そのミニブックでさえ、最初の練習曲(グループ1の1「歩こう」)は、4分音符と2分音符、全音符が、同時に出てくる、異る音価でできた曲から始まります。
 『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』は、導入のときから、「表現」のために必要なこととして、マルカート、スタッカート、レガート、そしてそれらの組みあわせによるアーティキュレーションの違い等を弾き分ける技術が身につくようにできている本ですから、本当はわざわざ2冊持たせる必要はないのですが(私自身が自分の生徒にピーターラビット・ピアノの本で レッスンするときは、この1冊の1ページだけで30分のレッスン時間が足りないくらいです。同じ曲でも、タッチやアーティキュレーションを変えて弾いたり、リズム変奏をしたり、ディナーミクを変えて弾いたり、 テンポを変えて弾いたりもするので、必然的に指のメカニズムも育ちます。)それでも、あえてバーナムを使いたい人は、『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』1巻で、タイを習い、2拍・3拍・4拍の概念が育ち、拍子記号とその意味を習った頃から、バーナム・ミニブックを導入し、丁寧に進んで行かれたら良いと思います。バーナムにおける「歩こう」はマルカートのタッチで、「ホッピングしよう」はスタッカートのタッチで、「ころがろう」はレガートで弾きます。「まりをつこう」はアーティキュレーションの練習です。『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』では2巻に入るまでにポリフォニーを聴き分け、弾き分けるための完全な耳と技術ができ上がって いるはずですから、バーナム・ミニブックのグループ1の6で2声部のバランスの聴き分け・弾き分けは当然できると思います。
 『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』2巻で初めて片手の中で2つ以上の音を同時に弾く「和音」を習いますから、バーナム・ ミニブックのグループ1の8「深呼吸」をその時期に合わせて練習させます。そしてその次の曲(9.)の最初の小節の弾き方 (音を出さずに鍵盤を沈め、最後まで押さえ続けるという弾き方)は、『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』でも、ちょうど、 次のページ(「とおい国のおはなし」)で習う「角音符」の表示法と同じ弾き方なので、説明しやすいと思います。また、その次の曲(「ハンカ・マンカのいたずら」)で2度音程の和音の書き方を習ったとき、バーナムの11「長グツはいて水たまり を歩こう」を同時進行することができます。
 『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』2巻、「しずかなみずうみ」で、8度(オクターヴ)音程をレガートに弾く課題に直面する頃には、バーナムでもグループ3の1が同課題として練習できますし、「しずかなみずうみ」で、「半音」「フラット」を習った直後に、バーナムにもフラットが出てくるので(グループ4の4と6「くもりの日の~」)理解を補完できます。どちらの本も次のページにシャープがでてくるので、進行具合もタイムリーです。指くぐりや指の置き換えに関しても、どちらも その直後に出てくるので同じ課題を深めることになります。
 『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』2巻で8分音符を習ってからバーナム・ミニブックのグループ5に入ると、それも 8分音符への理解後、指の訓練ということに繋がり理想的なレッスンができます。
 バーナム・ミニブックの続きは「導入書」(オレンジ色の表紙)ですが、バーナム・ピアノテクニック、『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』、いずれに対しても内容と指導のポイントを、深く見きわめ丁寧に指導していなければ、2冊合わせて効果的に レッスンすることはできませんし、また、その程度では、本を増やしたり、ページだけたくさん進んでも、生徒自身には何の力にもならないということを、指導者はいつも、肝に銘じていなければならないのです。
 使うなら、バーナム・ミニブックを、『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』2巻の初めから共通性を持たせた進度で、効果的に使って下さい。



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Q11 イギリスの民謡を知らないのですが...
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q11

2巻と3巻に、北村智恵先生の作曲ではなく、イングランドの歌とかアイルランドの歌、スコットランドの歌、ウェールズの踊りというのも入っています。
このような曲をレッスンするとき、ピーターラビットの絵本に載っていないのでどのように説明したりイメージを持たせたりすれば良いのでしょうか。
私自身も外国の民謡とかあまり知らないので、ちょっととまどっています。

(回答:北村智恵)
→一般に「イギリス」と呼ばれている国の正式名称は「グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国」(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)で、日本では江戸時代に「英吉利」の字を当てて呼んでいたので今でも「英国」と言われていますが、この立憲王国は、グレート・ブリテン島の、イングランド、スコットランド、ウェールズ、及び、アイルランドから成る島国です。これら4つの国すべて民謡の宝庫で、日本にも明治時代から多く取り入れられ歌われ親しまれてきました。いつのまにか学校の教科書にも入らなくなり若い人たちには知られていませんが、私は、民謡という「文化」としての音楽も、「芸術」としての音楽も、同じだけ価値があると考えていますし、子どもたちに、ピーターラビットの絵本が 生れた国の音楽文化にも親しんでほしいと思い、4つの国の代表的な民謡をそれぞれ1曲ずつピアノ用にアレンジしました。 歌詞内容もそれぞれ知ったうえで、できれば生徒さんに元歌も歌ってあげて下さいね。
 そして地球儀や地図上で、それらの歌がどこの場所のものかを教え、「楽譜」があるから、こうして、こんなに離れた日本の 国の私たちにもその曲が伝えられたのだということ、言葉(言語)は国によってさまざまだけれど、楽典(楽譜の読み方)は 世界共通であるということのすばらしさも合わせて教えてあげて下さい。原語で歌うことができない歌でも、「ピアノ曲」になれば、世界中の誰でもが楽しく弾けるということなのですから。



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Q10 別のメソッドから替えるときの注意点は?
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q10

よその教室で、グローバー教本の3巻まで習った生徒が転入してきます。
私は『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に替えたいのですが、どういう点に注意して、何巻から持たせたらいいでしょうか?

(回答:北村智恵)
→「グローバー・ピアノ教本」は、その指導理念や実際の内容に関しても、基本的には『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』と同じ方向性を持つメソードです。
 1979年5月に東亜音楽社から初めて出版されたとき、私は、出版社からの依頼でグローバー先生にもお会いし、内容を 納得した上でこの教本の普及に努力するべく、全国あちこちで私自身が講座を引き受けていたほどですから。転入してくる 生徒さんがバイエルで習っていなくて良かったですね。
 さて、グローバーでは、1~3巻で、フレーズやフレージングを認識して弾くこと、いろんな調の長・短音階、長・短和音を体験し、タイトルにふさわしい音でふさわしい表現をすること、臨時記号・調号、共にシャープやフラットに早くから馴れること、8分音符や3連符、和音、ダンパー・ペダル等も体験し、ハイドン、グリーク、カバレフスキー等の小品も弾いていますから、少しフィード・バックさせて(本が替わったとたんに難しくなったと思わせないことが大切)『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』2巻の最初 「ピーターとベンジャミンのおはなし」から、つまり、①ポリフォニーの強化 ②同じ曲でもタッチやテンポを変えて表現内容を 変えて伝える体験 ③現代奏法(倍音利用の音楽)の知識(角音符と奏法)等を、余裕を持って弾いていけば良いのではないかと思います。
 グローバーには、ドリルブックや併用曲集があり、コード・ネームや調号も理論としてマスターしなければならず、また、導入も4分音符と2分音符が同時に出てくるリズムから出発するので、拍節感の定着や2分音符、付点2分音符、全音符、 等の理解に無理がなかったかどうかを確認して、まずは、「楽しく弾く」「音楽体験の優先」「たくさんの本を持たなくても、1曲を深く学ぶ」ことの大切さを、フィード・バックして教えてあげて下さい。つまり、音楽とは何か、という本質を伝え、ピアノの習い方や練習の仕方を伝え直すつもりでレッスンに臨まれたら良いと思います。要は、元の本の長所・短所を知り、導入の特徴や進め方の特徴をきちんとアナリーゼすれば、どの本からでも移行可能ということです。併用曲集として使う場合も同様です。



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Q9 絵本を読んだ方が良い?
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q9

『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に載っているそれぞれの曲は、すべて標題音楽なので、タイトルがついているから音楽の内容もイメージしやすいだろうと思い、レッスンのときに絵本を一緒に読むということはついつい省略?してしまっていましたが、実は私自身が、このピアノの本に出てくるいろんな動物の話や名前もあまり知りません。
ピアノのレッスンの時間を削ってまで絵本を読んであげたり一緒に読んだりすることに少し抵抗があるというか、勇気がいるのです。
それでもやはり絵本を読んだり読ませたりしたほうが良いのでしょうか?

(回答:北村智恵)
→この本に関して、それぞれのページに登場する動物の名前や、その動物が主人公である巻の絵本は、やはり知っておいていただきたいと思います。なぜなら、例えば、「ナトキンの踊り」がどんな踊りなのか、「ピーターとベンジャミンのおはなし」 がどんなお話なのかによって、タッチや音質・音色・ディナーミクまで変わってくるはずだからです。
 また、「ピアノのレッスンを削ってまで」の解釈ですが、表現のために必要なことをイン・プットすることは、私自身は「ピアノのレッスン内」のことと解釈しています。ベートーヴェンのソナタをレッスンするときに、ベートーヴェンの交響曲も聴いたことのない生徒には、30分以上かかっても、いずれかの交響曲を選んで全楽章聴かせますが、それは「レッスンを削ってまで」ではなく、それがレッスンそのものであると確信しています。ベートーヴェン・ソナタの レッスンも、『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』におけるレッスンも、音楽の本質(=表現するという行為)を身をもって教え伝え、生徒に定着させる働き、そしてその丁寧さにおいても、私は、同質であるべきと信じています。レッスンにおけるクオリティをどこまで求めるのか、またそのための優先順位をどうつけていくのかが、指導者に問われるところであり、指導者自身のクオリティを高めて行くことにも繋がると信じます。
 加えて、児童文学者ビアトリクス・ポターの作品、全23巻の絵本そのものの含蓄も、大人である先生方にこそ、子どもたち以上にその含蓄の意味や深さを読みとって頂きたいと願っています。音楽する人にこそ必要な能力だからです。



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Q8 2巻に入ってつまづき...
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q8

1巻を、時間をかけて順調に進んできたつもりなのに、生徒のほとんどが2巻に入ると進まなくなってしまいます。特に「ピーターとおかあさんのおはなし」と「春風」が弾きにくいようです。
2巻に入るまでに絶対しておかなくてはいけないポイントや、2巻に入ってから補助的にやっていかねばならないポイントがあれば教えて下さい。

(回答:北村智恵)
→この本は2巻に入ると急に難しくなるという本ではありません。むしろ私は、1巻が最も難しいとさえ思っているほどです。
 1巻で「時間をかける」ということは、1巻のうちに、1曲ずつ、それぞれの曲を「弾きこなす」ために、奏法を変えたり リズム変奏したり、左右の音量を変えたり、片手ずつを完全に暗譜させて反対側の手の音を先生が弾いて二人で合わせたり、その逆をしたり‥‥等々、要は各声部の音の流れを自分の耳で聴きとり(聞こえているというだけの状態ではなく)自分の指で弾きこなすまで、つまり練習の仕方を具体的に指導することに時間をかけたかどうかということであって「できていない状態を長びかす」ということではありません。毎週毎週、1つの曲をどれだけ深く掘り下げて指導したのか、その具体的な 課題の多さが、その子の実力となります。1巻でそのことがきちんとできていれば、2巻に入ったとたん進まなくなるということはあり得ません。
 この本が出版される何年も前から、私自身が自分の生徒に、手書きや版下のコピー等を使って十数人の生徒に1曲違わずこの通りの曲で、導入し指導しましたが、誰一人として2巻で進まなくなった生徒はいません。「ピーターとおかあさんのおはなし」も「春風」も、片手ずつの丁寧な練習を毎日きちんとしていれば必ず1、2週間もあれば 両手で完全に弾きこなせるはずです。
 2巻に入るまでに絶対しておかないといけないポイントとは、1巻のうちに、練習の仕方の具体的な指導をすることと、それに従った練習法の習慣をつけることではないでしょうか。1巻のうちに譜読みの原理と練習法を体得した子どもは、2巻で急につまずくということはないと思います。
 要は、「時間をかける」ということの内容が具体的な方法として、どれだけの用意が先生の側にあるかということと、もう1つ、導入期から毎回のレッスンで、先生が、その子の状態をどれだけ深く見きわめているかという事実だけが 良い結果をもたらします。理想の指導内容に添って進み、1分たりとも妥協しないできたか、すなわち、毎回、求めるものの深さを変えることなく求め続けて第1巻を終えたかどうかの問題だと思うのです。
 私自身は1巻から3巻まで、他に何も使わず、常に1冊だけで(生徒にとっては毎回1曲だけで)レッスンにのぞみ、 エチュードに入るまで他に何も使わずに育ててきましたが、全員、読譜力があり、自分の音をよく聴くことと、音楽にふさわしい音を出すことと、歌わせて弾くことが可能です。
 1巻のうちに妥協しないことに勇気を持って下さい。子どもというものは、毎回の目標がきちんと理解できていれば、何週おさらいになっても必ずついてきます。飽きると思う先生は、飽きさせるような内容しか与えていないということであり、 充実感があれば必ずどんどん自ら練習に向かうというものです。
 子どもをみくびらないというのはそういうことと私は信じています。



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Q7 左手と右手の音のバランス
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q7

①2巻の「春風」で左手の和音をバランスよく弾くことに気をとられてしまい、右手のメロディーと合わせると、メロディーよりも和音を大きな音で弾いてしまいます。
②1巻の「きょうにさようなら」で各段3小節目を弾くとき、左手の音を静かに弾こうとするとその手に力が入ってしまったり、逆に右手のメロディーをきわだたせようとすると、そこだけ右手の音がとても大きな音になってしまいます。

(回答:北村智恵)
→①も②も原因は1つです。意外と思われるかも知れませんが、テクニックの問題ではありません。このような場合、おそらく、先生の説明はよく聴き、理解もしていると思われますが、もっと基本的な問題──歌わせて弾く(=ピアノで歌わせる)ということができていない段階、つまり頭で弾いているのであって、心で弾いていないからです。メロディーを、声に出して歌うのと同じように指で弾きこなす(歌いこなす)ことができるまでの「弾き込み」が、まだまだ足りない状態です。言い換えれば、両手で弾くにはまだまだ早すぎる状態ということです。
 ①②いずれの曲も、メロディー・ラインのみを取り出して歌わせて弾く段階を丁寧に指導すれば、生徒自身の手がそれを求めるようになるので、それ以外の音は自然に脱力してしまうように必ずなります。単旋律をピアノで美しく歌わせる指導にどれだけ時間をかけたかがポイントです。メロディーの1音1音やそのつながり方、音ののび(打鍵後の音)に至るまで聴き込むことができる段階になれば、必然的に主旋律を弾き込んでいる状態になっている はずなので、それを上まわる音量や邪魔する固い音などが反対側の手に生れ出ることは絶対起こりません。
 どの段階に時間をかけ、何を求めたかの結果が「技術」を生み出すということです。素人が見ると譜面は一見易しそうですが、「音楽する」ことの奥深さを「先生」だからこそ丁寧に教えてあげて下さい。本のページの進度ではなく、奥深さをきわめて行くことの喜びは、妥協さえ しなければ必ず伝わります。



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Q6 初めてこんな本に出会った
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q6

私自身がピアノの習い始めはバイエルでしたし、結婚前まで勤めていた楽器店で決められていた導入教材も、やはり内容はバイエルだったので、『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に書かれているように、「イメージを音で表現する」というような理想的なことが導入期の段階でどこまで可能なのか、実は自分の指導に自信がないので、まだ使っていません。
こんな私でも本当にレッスンに使ってみてもいいのでしょうか?

(回答:北村智恵)
→結論から言うと、そういう方だからこそ使ってみてほしいと思っています。中央のCの音から順番に1つずつ音が増え、 技術的に何の苦労もない段階だからこそ、自分が出した1つ1つの音を「聴く」習慣がつけられるのです。「子どもにそんな理想的なことを?」と思っている人は、子どもをみくびっている人です。子ども(白紙)だからこそ何の先入観も偏見もなく、それを当然のように受け入れていくのです。あなたにとって難しいかも知れないドイツ語やフランス語も、ドイツやフランスに生れた子どもは、1才半でそれらの言葉を話すようになり、自然に身につくでしょう?そしてそれが当然のこととなり、大人になってから日本語を習うことのほうが難しいことであるということは容易に想像がつくでしょう?音楽とは、あるいは音楽の学び方やそのあるべき姿勢とは、そういうものではないかと私は思っています。
 この頃の子どもはイメージに乏しいと言われています。それは大人が、目に見えないものを想像したり考えたりする機会を子どもたちに与えずに育てているからです。ピーターラビットとその仲間たちは「絵本」の中の動物なので、物語や場面によって、顔つきや体の表情、背景もさまざま──どぎつくなく、やさしい上品な色づかいや心のこもった絵で、子どもの心に実に多くの感情やイメージを育ててくれて、本当にかわいい(愛しい)ものとは 何かということまで教えてくれます。愛しむことを知らない子どもが、ピアノにおける自分が出した一つ一つの音を愛しめる はずがありません。絵や物語から想像すること、考えることを通して、感情移入の体験をし、それを音に託すのが「音楽」というものである、と信じます。
 どうか一緒にやってみて下さい。子どもたちから学ぶことも大きいと思います。 私の教室には、大人のビギナーでも自ら希望してこの本で、音楽の本質を学んでいる人がいるのですヨ!楽しいレッスンです。



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Q5 左手と右手で異なるフレージング
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q5

2巻の1曲目「ピーターとベンジャミンのおはなし」ですが、片手ずつではきちんと弾けるのですが、両手になると全てつながってしまったり、右手のフレージングで左手も一緒に切れてしまったり、左手のフレージングでは手が上がりません。
生徒の手を持ってうながすと、なんとか音を切ることはできるのですが機械的です。
フレーズを感じていなくても先に形だけできるようにしてしまって良いのでしょうか?
それとも、生徒が左右それぞれのフレーズを感じて弾けるようになるまで待った方が良いのでしょうか?

(回答:北村智恵)
→これは、とても重要な質問だと思います。ピアノが、他の楽器と決定的に異なるポイントは、ここにあると考えます。鍵盤楽器だけが、「一人でポリフォニーを弾く」ことを可能にする楽器で、それにかかわる問題だからです。熟練すれば 何声部もの旋律を、各声部ごとに、音量、音質、音色まで弾き分けることができますが、2つのメロディーを左右異なる 箇所でフレージングするというのは、ポリフォニーにおける最低限のテクニックです。ポリフォニーは、ピアノという楽器で 音楽していくことを選べば、避けて通れない大きな課題、また、そのテクニックは、ピアノにおける最初から最後までの本質的価値と言えます。
 ご質問の件ですが、片手ずつではきちんとフレージングができるのに、両手になると、
① みな繋がってしまう 
② 右手だけフレージングできて左手は繋がりっ放し
③ 右手のフレージングで左手も一緒に切れてしまう
 と、よくある3つのパターンに分けてお答えします。
 ①の場合、両声部とも動く音に耳が寄ってしまうタイプ─→主旋律(この曲では右手のメロディー)のフレージングで 息を吸わせてそのとき生徒が自分で右手をあげることとし、左手のフレージングの箇所のみ、先生がその生徒の左手を持ち上げる。 この方法をくり返すことにより、習慣的に一人で左右交互のフレージングができるようになる。
 ②の場合、主旋律というよりも高い方の音しか聴いていないタイプ─→先生が右手のメロディーを弾き、生徒は左手の メロディーを歌いながら左手だけで弾く。(2声部同時に聞こえる中で、左手の音を聴くことに意識を促す)左手のフレージングで息をすうとき左手を自分で上げて切ることをくり返し練習した後も両手合わせると左手の音が切れない場合は、 左手のみ、先生が持ち上げることで左右の使い方をリズム的に体得すると、逆に左手の音も聴けるようになる。
 ③の場合、身体リズム(運動神経)的に不器用なタイプ─→両手ともフレージングの箇所で先生が手を持ちあげたり下ろしたり介助することにより、身体リズムとして覚えさせる。ちょっとしたきっかけで以後スムーズにできる場合が多い。このきっかけが大切。
 ①②③いずれの場合も、音楽上の呼吸(息)は息で誘い、技術は「手とり手(本当は足)とり」して、先生が身をもって 相手の体に、左右の腕の使い方のリズムを伝えて覚えさせ、時間をかければ必ずできるようになります。



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Q4 スケールの練習は?
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q4

『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』では、指くぐりや指越えは出てくるのに、スケールの練習は出てきません。
他のメソードでは、主要な調の音階練習にページを割いていると思いますが、メソード期にはスケールの練習はしなくてもよいのでしょうか?
また、どのような時期に、スケールを練習しはじめたらよいのでしょうか?

(回答:北村智恵)
→『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』はピアノ・メソッドです。「メソッド」とは、「演奏を通して楽典を学ぶ本」のことであり、言いかえれば、「ピアノを弾くことで譜が読めるようになる」というのが目的です。
 さて、スケール(音階)やアルペジオ(分散和音)というものは、譜が読める(=8分音符や16分音符、何の音をどの指で弾く、等が理解できる)からといって弾けるものではありません。理で解することではなく体で習得することであり、ひとことで言うとそれは、「技術」を身につけるための練習です。
 技術を習得するための本は「エチュード」なのです。
 私はメソッド期とエチュード期、それぞれの目的をはっきり分けて考えています。メソッド期の間に技術的な無理を持ち込まないことは、エチュード期になってもきちんと譜が読めないような生徒などあってはならないことと同じくらい大切なことと考えています。
 『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』では、2巻と3巻の中で、5つの音を音階として弾くことや、指の拡幅(指ひろげ)、指くぐり、 指ごえを体験(体得)できるように作曲・配列してあります。それらはスケール(音階)導入のための基礎という考えです。 その段階を経て、「エチュード」に繋ぎますが、そのときにスケール(音階)の基礎ができ上がっていることを目ざしている わけです。つまり、指ひろげ、指ごえ、指くぐりは、言わば「プレ・スケール」ということです。
 『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』全3巻を終えた段階で「ブルクミュラー25の練習曲」や「ピアノの練習ABC」、「ストリーボック2つのやさしいエチュード(Op.63、64)」等に移行することで、読譜的にも技術的にも、全く無理のないスケール導入が果たせます。
 メソッド期、エチュード期、いずれの期においても、その演奏が「音楽的」であることを求めることがとても大切なことであるということは言うまでもありません。



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Q3 小さい子どもでも奏法の弾き分けができる?
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q3

『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』では、最初から奏法の弾き分けが出てきますが、幼稚園ぐらいの幼い子どもたちに対してそのような技術的な指導をしたことのない私は、本当にそんなことが可能なのかどうかとても不安で、特に、1巻に対してそれが心配で、とまどいがあります。
それで今のところ、他の本で教え始めた生徒に2巻から乗り換えて使用することにしているのですが、1巻に書かれている、マルカートやレガート、スタッカートなどの奏法の弾き分けは、本当に幼児にも可能なことなのでしょうか?
難しすぎることのように思うのですが ... 。

(回答:北村智恵)
→「初めから音楽する本」というのがこの本のねらいです。音楽=表現であり、奏法の弾き分けは、表現上の問題です。 幼児でもそれは可能です。というよりも、幼児だからこそより可能と言えるかも知れません。つまり、手のフォームや指の タッチなど、習い始めの習慣(自分が出した音を自分の耳でよく聴き、目的どおりの音かどうかの認識を持ってコントロールしながら弾く習慣)が、その子の上達度を決めてしまうわけですから、導入時期にそれをしなければ、その後何をどれだけ 与えても、「音楽する」という基本はザルに水です。また、習い始めだからこそ、手のフォームや、各指の上げ方、打鍵の角度など、まだ悪い癖がついていないので、先生の指導をすんなり受け容れて、習慣化し、自然に理想のタッチを身につけて 行くというものです。
 これらのことをレッスンで受けとめていけるかどうかは、教え始めの先生の態度で決まります。私の経験では、4~5歳から タッチの弾き分けが充分可能です。「できない」のは、指の未発達ではなく、「どういう音を出したいか」という意識や その曲に対するイマジネーションの欠如、ひとことで言うと、本質的には「音楽していない」という基本態度が原因です。2~3歳ではまだまだ指関節の未発達な子どももいますが、そんな年齢の子どもに「ピアノ」という楽器を与えること自体が間違いであり、もしも何かするのなら、ピアノという楽器以前の、もっと音楽に関する普遍的なことを指導するべきでしょう。子どもにより発育の個人差がありますが、特に医学的な「障害」がない限り、私の経験では3歳半でも、タッチの弾き分けは可能でした。
 要は、先生の「技術」や「奏法」に対する考え方の問題ではないでしょうか。「かたち」やタッチの仕方から入るのではなく、その子の手や指でいろんな音の出し方を試みさせます。いろんな音の出方があることを知り、その中のその子にとっての一番 「はっきりした音」が出たときの指の上げ方、下ろし方(打ち方)をマルカートと呼ぶのだと、そこで意識化させます。レガート、スタッカートに関しても同様です。その曲に必要な音を出す、それが奏法の弾き分け(=表現)なのです。



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Q2 たくさんの量を与えない?
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q2

『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』の講座を受けました。各ページ、それぞれ「なるほど」と思うことばかりなのですが、それでも、いざ自分の生徒に使おうと思うと、1週間もの間、たった8小節、たった1段の曲を宿題とするには、なぜかとても「勇気」がいります。
生徒が退屈しないか、お母さん方がどう思われるかも心配です。
皆さんは 本当にこの、先を急がない、たくさんの量を与えないということを守っておられるのでしょうか?

(回答:北村智恵)
→他の人たちが「守っておられる」かどうかは判りませんが、少なくとも私自身は実践しています。特に初めの頃は各ページに1段だけの曲しか載っていないのは、妥協しないレッスンであるならば、求められているそのことは、本当にハイレベルなことで、子どもにとっては、身につくまで相当な時間がかかることだからです。
 たとえば「ピーターのたいこ」など、楽譜を見て、①「ぼう」の向きで左右の手を自分で判断し、しかも②一定したテンポで、③反射的に打鍵できるようになるためには、かなりの時間を要するはずです。この①②③のうち、いずれが欠けても未熟でも、それは次のページへ進む力を持てていないということであり、それで先へ進むのは消化不良というものです。
 そしてまた、私自身は、よく似たパターンや少し違うパターン、もっと高度なパターンなど四分音符や四分休符の組み合わせをいろいろにしてノートや別の紙に書き、何度も練習させ、その子にとっての「弾きこなし」ができてから次のページへ進みます。リズムで導入する本というわけですから、リズミカルに弾きこなせなかったとしたら、何曲もその応用曲を練習し、その力をつけなければなりません。そして、その間に 次のページに出てくる登場人物(動物)の絵本を読んであげたり、次の曲や次の曲のタイトルに興味をもたせる「外堀りを埋めること」を先にしておきます。「レ」の音を覚えたり、「シ」の音を覚えたりすることは簡単なことかもしれませんが、「言われたことの記憶」ではなく、本当にきちんと理解しているかどうか、常に指導者が判断し続けなければなりません。
 そして、「ドレドレ」であっても「ドシドシ」であっても、「マルカート」の打鍵法をきちんと習得し、しかも打鍵という動作ではなく、出てきた音がどうかという、自分の耳で自分の音をよく聴く習慣は、ここから始まるのだということを忘れないで「譜読みは少なく、課題は深く」を実践するための「少しの勇気」を持って下さい。それは子どもというものをみくびらないこと、子どもたちの潜在能力を信じるということに他なりません。そして、各ページそれぞれの曲がうまく弾けても決してそれだけで 先へ進まず、フィードバックしては2曲をAB、ABA、ABABと組み合わせて演奏することで、集中力、構成力を養う手だても忘れずに。先へ進むたびに、3曲も4曲もフィードバック方式を応用して力をつけて行きます。先へ進むだけのことより力がつきます。



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Q1 併用曲集としても使える?
※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q1

新しく出版されたばかりの『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』を店頭で見つけとてもかわいいので、1巻から3巻まで1冊ずつ買ってきました。
巻末の、「先生方へ」という指導の手引きを読み自分でもひととおり弾いてみて、とても納得しました。そこで、是非ともレッスンに使ってみたいと思ったのですが、実は今、さしあたって習い始めの生徒がいないのです。
もうすでに別の本を使ってレッスンを始めてしまった生徒に、この本を使うとしたら、どのような使い方をすれば良いのでしょうか?

(回答:北村智恵)
→この本は、全く習い始めのときから使っていただくのが理想ですが、もうすでに他の本でレッスンをしておられる場合は、併用曲集として使えます。ただし、どのメソードを使っている生徒さんでも、たとえば、譜が読めて、指がよく動いたとしても、このテキストが目ざしている「初めから音楽する」ことにおいては、そのような体験が乏しいと感じられる子の場合は、1巻の初めから併用して下さい。一見、譜は易しいので、とばして使えそうですが、「音の聴き方」の指導や、二声部を弾き分ける(聴き分ける)ことの基礎などは、すべて1巻での指導にかかっているからです。
 同じメロディーでも、タッチやアーティキュレーションなど、奏法が違えば、表現内容がすっかり変わってしまうということや、それらまで同じでも、テンポが違えばこれもまた、表現内容がすっかり変わってしまうということを、習いはじめのときにこそ体験させなければ、音楽の本質とはかけ離れたところで「テキストのページだけが進んで行く」ということになってしまうと思うのです。
 具体的に言うと、①タッチの弾き分け ②アーティキュレーションの確実な読みとり ③テンポ感 ④他者との呼吸合わせ ⑤二声部の弾き分け ⑥イメージ表現(ディナーミクや、一つ一つの音の音質、音色に至るまで)等々、1巻の内に少なくともこれらのことが要求され、実際に弾けるようになるのですから、これらの一つでも欠けているとしたら、フィード・バック方式で併用曲集として利用して下さい。1巻を完全にマスターすることによって、二声部を聴き分ける耳が育っているので、ポリフォニーの基礎ができていて、2巻は1曲めから確実にポリフォニーの導入となります。また、全巻通して、長調や短調だけでなく、旋法や無調・複調(バイトナリティ)・倍音利用の音楽など、易しい技術のうちに、偏りのない、現代曲にも通じるさまざまな要素を体験できるようになっているので、子どもにとっては現在使用中のメソードの「おさらい」、指導者にとっては指導内容の「補完」として利用すれば良いのではないかと思います。
 譜読みは少なく課題は深く、というのが、私のモットーです。どの曲にも時間をかけ、先を急がないようにして下さいね。



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