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北村智恵ピアノ教室、コンサートの自主公演、ピアノ指導者セミナー開催等、行なっています。

レッスンQ&A

Q21 エスプレッシーヴォで弾かせるためには?

※『ピーターラビットと学ぶはじめてのピアノ教本』に関する質問
Q21

「祈り」、「夏の名残りのバラ」、「アニーローリー」など、テンポ・ルバートしたい叙情的な曲がどうしても機械的な演奏になってしまいます。
こちらが弾いて聴かせると、何となくまねはできますが、自分でテンポの揺れを感じ表現するところ まで育てられていません。
エスプレッシーヴォをこの段階で体験し、表現を求めるのはこのテキストの大きな特徴だと思うのですが、私の力不足で、指導しきれずにここまできてしまいました。
せめて最後の「オーバード」は美しく仕上げて終わらせてあげたいのですが、今の段階ではどのように指導すればよいのでしょうか。

(回答:北村智恵)
→「エスプレッシーヴォをこの段階で体験し、表現を求めるのはこのテキストの大きな特徴」だと本当に思ったのであれば、「私の力不足で、ここまで来てしまった」ことなどあり得ないことです。はっきり言うと、「力不足」なのではなく、「思いの強さ不足」だったのだと思います。結局、今日まで妥協してきてしまったということではないでしょうか。導入の大切な時期に妥協してここまで来てしまいながら、最後の曲だけを「美しく仕上げて終わらせてあげたい」というのは、ある意味で無責任な、虫のいい話だと思います。
 もしも機械的な演奏をしている生徒がいたら、私は、その時点で「この演奏は音楽ではない」と、はっきり断言します。幼児で あっても、「障害」を持った生徒であっても。
 理由は簡単です。聴いていて楽しくないからです。そして「楽しくない」「美しくない」ことの原因は、「心がこもっていない」からです。
 一般に先生は生徒に対して、よく、「もっと心をこめて弾きなさい」と言うのですが、「心をこめて」というのがどういうことなのか、先生は、生徒に、具体的に解らせているのでしょうか?
 私は自分の生徒に、「心をこめて弾く」というのは、「聴いている相手や、誰かのために弾くということだよ」と教えています。聴いている誰かが、気持ち良くなったり、幸せな気分になったり、楽しくなったり、元気が出たり、心が落ち着いたり、安心したり...等々、聴いている人がそういう気持ちになれない演奏は、自己満足(自分勝手)の演奏であって、それは本ものの 音楽ではない、と言いきり、絶対に妥協はしません。本人がテンポのゆらぎやディナーミクを感じていないのに、他者を感動 させたり心地よくさせたりなどできるはずがないのです。どんなに指がよく動いても心が動いていないのは、「上手に弾く」ことしか求めていない証拠です。「楽しく弾く」ことや「聴いている人が心地よくなるように」という思いを育てる本気を、指導者自身がまず持たなければ――。その本気があれば妥協など絶対あり得ません。先生の心のどこかに、「この子は情緒がない」「センスが良くない」「音楽性がない」と、その子のせいにしてすませている自分はいませんか?
 厳しいようですが、もし私が、ある生徒に妥協して進んでしまい、3巻も終りに近づいた頃、そのことに気づいたとしたら、(私なら)その子に謝って2巻に戻させてもらい、もう一度、今までやったことのある曲を、今度はディナーミクやテンポの変化などの表現力を養うためということを目的にやり直しさせてもらいます。技術的な余裕と読譜の苦労のないことで、今度こそ「求められるもの」に集中して、余裕を持って(楽しんで)弾けるかも知れません。本のページの進むことだけが進歩(上達)なのではなく、音楽性の深さ・豊かさこそ本当の「進歩(上達)」であると私は本気で思っているので、堂どうと「戻る」ことができます。そして少しの変化でも堂どうとほめてあげることができます。
 最後の曲だけで辻褄を合せる(恰好をつけて終らせる)ことなど私にはできません。よけいに無責任なことになると思うからです。
 あえて言うなら、先生の、その「本気」こそ、生徒を変えて行くと思うのです。
 「育てたように子は育つ」――家庭における子育ても、ピアノのレッスンも同じだと思います。どんな子もみくびらず、信じて、徹底的に「音楽性」を求めてきたとしたら、本当はそんなことは絶対起こらなかったはずだということを肝に命じて、その子と共に、ある時点まで戻って、今度こそ「二人三脚」(その子の歩幅で歩むこと)をやり直してみて下さい。そのときこそその子は、きっと心の底から理解してくれると信じます。




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