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北村智恵ピアノ教室、コンサートの自主公演、ピアノ指導者セミナー開催等、行なっています。

過去の公演

みんなの音楽 第9回 エッセイ

「一期一会のコンサート」 ――北村智恵
 ~ムジカ工房通信76号「胸にしまっておけないドラマ」より転載


「ケンカ、全部あやまるね」  A・H(宮城県・小3女子)
 わたしは東日本大震災がおきた日の朝に、お母さんとケンカをしました。
 そしてあやまりもせず、おこってランドセルをせおい学校に行きました。
 授業が終わったとき、わたしは、お母さんはもうおこっていないと思いました。
 それを早く知りたくて、走って家にもどろうとして橋の上の真ん中くらいにいたとき、
 「ドシン、ドッドーン」
 と、大きな音がなりひびき、それと同時に、大きな横ゆれがしました。
 サイレンがなり、大つなみけいほうがでました。
 わたしはまっさきに、家に帰ろうとしました。
 その時、「ダメ」と声がして、目の前に高校生の女の人が立っていました。
 5分後、大つなみが来て、橋はどこかへながされてしまい、みんな学校にもどりました。
 1日目はほとんどの親が迎えにきてくれませんでした。
 2日目はわたし以外のほとんどの人の親が迎えにきて、帰っていきました。
 3日目に、わたしのお姉ちゃんが迎えにきてくれて、とっても泣きました。
 そのときわたしはあることに気がつきました。そしてお姉ちゃんに、「ねえお母さんは?」と聞きました。
 お母さんは死んでしまっていました。
 いまだにお母さんがおこっているままなのかどうかは、わからない。
 わたしは、お母さんのことだから、もうおこってはいないと思う。
 でもおそうしきの時、わたしは大泣きしました。
 お母さんの顔を見ると、「おこっている顔」をしていました。
 わたしは、ゴメンネ......とつぶやきました。
 するとお母さんの顔は笑いました。うれしかった。
 今までのケンカ全部あやまるね。ゴメンネ......。これからも笑顔でみまもっていてね。
 わたしはお母さんが見つかってからいつも金曜日の2時46分に、ベルを鳴らしています。
 そうしてお母さんに「ゴメンネ」を送っています。
 ちゃんと聞こえていたらいいです。

 東日本大震災で母親を亡くした小学三年生の女の子の作文である。昨年度の「みんなの音楽」のサポーター会費から必要経費を除いた全額を、東北大震災で遺児・孤児となってしまった子どもたちのための義援金として今年も「あしなが育英会」に届けるために、窓口となって貰っている神戸レインボー・ハウスへ届けに行った折り、そこで頂いた被災遺児たちの文集を読んで、私は、今年の希望コンサート「みんなの音楽」では、この作文の朗読をピアノとのコラボにしたいと、目を通した途端に思った。もう一つ小学一年生の文章で「3月10日まではいい日だったね」というタイトルにも心惹かれたが、「震災」とは何かということを、かくも平易な子どもの言葉で、かくもリアルに、かくもシビアに、人々に伝えてくれるものはないと思い、この文章を選んで舞台で朗読させてもらうことにした。
 何と真実な言葉だろう――「哀しい」「淋しい」「辛い」といったような、感情を表す、よくある言葉は一切でてこないが、三月十一日の朝までは、どこにでもあるような平凡な「日常」が、その日、突如として「日常」ではなくなった、これが人間にとっての最大の不幸なのだということを、この子は事実を羅列するだけで伝えてくれている。切なくて、切なくて、何度読んでも泣けてくる。大好きな母親――どんなことがあっても自分を愛し許してくれていた母のことを、いつものように「もう怒ってはいない」と信じ、それを早く知りたくて走って帰る途中に起こった大津波――。通学路に実在し、津波で流され渡れなくなってしまったその橋は、この子にとっての、「現し世」と「彼の世」とをへだてる「渡れざる橋」と化してしまった。  「どんなことがあっても」「いつものように」すぐにいつもどおりの「日常」に戻ることを信じて疑わなかったこの子の「どんなこと」の中には、大津波や母の死など入っていなかったのだ。よくある風景、よくある場面、家庭の「日常」、この子の「日常」が、ある日突如として「日常」ではなくなってしまったことへのとまどいと後悔――。その日の朝「ゴメンネ」を言わずに学校へ出かけてしまったことが、おそらく一生この子の背負い続けるであろう十字架となりそうで、その気持ちを想うと、不憫で、切なくて、かわいそうでかわいそうで泣けてくる。遺体が見つかってから、毎週金曜日の2時46分にベルを慣らし、天国に向かって「ゴメンネ」を送り続けているその子の最後の一行「ちゃんと聞こえていたらいいです」という、「子どもの言葉」は、何とひたむきで真実な言葉だろう。読み終えてこちらまで祈る思いになる。
 実際に、教え子の創作ピアノとのコラボレーションでこの文章を朗読し終えたとき、客席で泣いている人が多く見受けられた。誰もが自然にこの子の気持ちに寄り添っていると感じられた瞬間であった。今年の〝希望コンサート「みんなの音楽」〟のプログラムの一つに入れて本当に良かったと思った。

 常づね私は、コンサートというものはメディアの一つであると考えている。音楽を通して、人々が共感したり分かち合ったりできる、人間にとって大切なものを伝え合うのがコンサートであり、それは、「主義・思想」ではなく、人としての情や愛の中に、この「時代」や「社会」を共に生きて行くよしみと知恵のようなものを生み出す力を持っている。
 今年の「みんなの音楽」のプログラム前半は、①高齢者9名による、アコーディオン一台を伴う複音ハーモニカのアンサンブル、②児童養護施設(遥学園)の子ども達の合奏、③アマチュアのハープにプロのチェリストが加わってのデュオ、④全盲ピアニストと全盲オカリナ奏者によるデュオ(埼玉・東京からの参加)、⑤ヴィオラとピアノのデュオ(広島より参加)、⑥四手ピアノ連弾(栃木・愛知より参加)、そして後半は、前述のコラボ⑦(東日本大震災被災遺児の作文朗読とピアノ)、⑧柳川三味線(京三味線)による地唄、⑨クロマティック・ハーモニカとピアノ、⑩ピアノ独奏、⑪バリトンとピアノ、というふうに、ジャンルや楽器、演奏形態等、まさしくバラエティーに富んでいたうえ、回収されたアンケートによると、プロの演奏のクオリティの高さやプログラム上のサプライズ、そしてやはり、アマチュアの演奏に関しては、そのひたむきさや思いの強さ、人の心に何か暖かいものを呼び起こす瑞みずしさ――「ほのぼの」と「しみじみ」の尊さに、多くの方がたが感動されたようで、それらも含め二時間半が短く感じられたという感想が多かった。
 九回目にして初めての楽器、柳川三味線(京三味線)は思いがけず「初めて聴いた」という子ども達や若い人達からも好評で、「言葉やその意味は解からなかったのに、声や節まわし、楽器の音色など、音楽そのものに引き込まれてしまいアッという間に終わってしまった」という人が多かったので、楽器やジャンルの説明だけでなく、唄(「黒髪」)の内容も説明しておけば良かったとアンケートを読んで反省した。また、この「みんなの音楽」のサポーター会の呼びかけ人のお一人でもある、クロマティック・ハーモニカ奏者、和谷泰扶氏の演奏は、それを聴いたすべての人の心の襞に分け入り、魂を呼び醒まし、暖かい涙で潤した「祈り」そのものだった。カッチーニの「アヴェ・マリア」、カザルスの「鳥の歌」、という選曲そのものにも彼の思いを深く感じることができたが、「シンドラーのリスト」を舞台袖で実際に聴きながら私は、かつて、自分がアウシュヴィッツのユダヤ人収容所を訪れ、毒ガスによって大量虐殺を受けたユダヤ人の、残された荷物(というより没収された金目の物や、ナチスにとっての軍需用品に再生産される目的だった金属類、等)の中に、「ハーモニカ」を見つけたときの、当時の自分の戸惑いや、虐殺される直前までそれを持っていた人のことを想い、込み上げてきた、当時の感情ややるせなさまで図らずも思い出し、泣けてきた。おそらく彼も同じ場所でそれを見つけ、「ハーモニカ奏者」として、特別の祈りを持って演奏していることが、「シンドラーのリスト」のテーマ曲だからこそ、その音色に託されていて、深く伝わった。ピアノ独奏の「月光」も、特に終楽章は、不屈の精神とひたむきさに多くの方が感動されたことと思う。
 コンサートの最後に、阪神大震災直後に作曲された「イモトのおっちゃん」という歌を、バリトンの岡田征士郎氏に歌って頂くことを、私は最初から決めていた。私がこの曲をリクエストしたのは、やはり、東日本大震災で生活やすべてを失いながらも一命を取り留めた人達へのエールである。如何なる喪失感の中をも、命あることのみ尊く思い、逞しく前向きに生きてほしいと願い、祈り続けている私達の思いを、十八年前に、あの阪神大震災を経験した人達から生れたこの曲に託して届けたかったからであった。
 今年もこの、希望コンサート「みんなの音楽」のサポーターとなって下さった方がたの支援で、舞台と客席が一体となった暖かいコンサートを実現させ、その感動を分かち合えたことに今、心から感謝している。サポーター、出演者、聴衆、スタッフ、すべての方がたに、心から。
 ――今年も、それは、一期一会のコンサートであった。




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