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ムジカ工房は、音楽教育家・北村智恵をサポートする、小さなアトリエです。
北村智恵ピアノ教室、コンサートの自主公演、ピアノ指導者セミナー開催等、行なっています。

過去の公演

みんなの音楽 第8回 エッセイ

「人が繋がるということ」 ――北村智恵
 ~ムジカ工房通信72号「心を紡ぐ」より転載


 ムジカ工房フェスタと位置づけ例年、少しでもホールを押さえやすいように工夫して、一日めは夜だけ借りて調律やリハーサル、二日めは「リトルピアニストのつどい」(私のピアノ教室の発表会)、三日めを「希望コンサート・みんなの音楽」にあてている。毎年、二日連続でコンサートを開催するだけでも大変といえば大変に違いないが、とりわけ第八回の今年は、例年では全く問題のない私でも、さすがに本当に大変な二日間だった。一日めの「リトルピアニストのつどい」が四十周年の会だったために、出演者の多いそのコンサート終了後、出演者メンバーと保護者たち全員が、同じ敷地内の別の会場に移動し、125名が参加する記念パーティーが開催されることになっていた。ところが、実は、全く同じ時刻に、岩手県からやってくる25名の男子学生たちを高槻市内の別の場所で迎えることを同時進行させなければならなかったからである。岩手の学生たちは、二日めの「希望コンサート・みんなの音楽」に出演参加するために来てくれたのだが、全員、幼児教育学科の短大生、しかも、その中には、自身が昨年の大震災の被災者という学生も何人かいて、経済的な問題もあり、結局彼らは、一人の引率者、二人のバス運転手と共に、学校の(ということはリクライニングもできない)バスに乗って高槻まで来ることになった。「みんなの音楽」サポーター会費の中から少しは援助させてもらうつもりではいたが、東日本大震災における被災遺児孤児支援のための義援金として、年会費の半額を現地に贈ることを決め賛同もしくは了承してもらっている以上、最初の予定をはるかに上回る人数の学生がやってくることになったからといって、予定額以上を出費することはできない。しかも、二十歳前後の男子学生たちばかりである。引率の先生からも「相撲部屋の如くよく食べます」と聞いている。せめて食べる物だけはおなかいっぱい食べさせてあげたいので、いろいろと考えてみた。「数人ずつに分けてホーム・ステイ」という方法もあり、私がいつも行く美容院の先生のように引き受けを申し出て下さった方もあったが、学生達が心細かったり、気兼ねがあってもいけないと思い、私の家の近くに在る「のびてゆく幼稚園」の広い遊戯室に、学生達全員を一緒に宿泊させてほしいとお願いしに行った。
 その幼稚園は私自身が園児たちに20年ほど前から毎月歌唱指導に通っている私立の幼稚園である。園長先生は、私の話を聞くや否や即座に、「智恵先生がなさることにお役に立つようでしたら喜んで!」と、本当に即座に引き受けて下さり、あまりの嬉しさに涙が出た。しかも、「園児のお泊り保育のときに利用するレンタル業者に頼んで、学生さん達用のお布団もこちらで用意します。それから、十何時間もバスに揺られて来られるのですからきっと疲れると思うので、近くの温泉につかってもらってはどうでしょう。疲れをとってさっぱりしてから園にいらしていただいたほうがいいでしょう? 東北支援という位置付けで、それらの費用はこちらで持たせていただきますから」とまで申し出て下さった。
 二日続きで3つのイベントを抱えていた私のことを思いやって下さり、結局、そのうえ食事の世話まで幼稚園でして下さることになった。学生たちが二日間毎回ずっとお弁当ばかりではかわいそうだからと、前日にこちらの関係者で作りに行くつもりだったカレーやサラダを、結果的には幼稚園の給食室で専門の方が作って下さることになり、布団を敷くための遊戯室の清掃も含め、目に見えないところで園の職員や調理員の方がたにも随分お世話になったと思う。七升の米飯、百食近いカレー、加えて私の友人が、若い学生達のために鳥の唐揚げを何キロも揚げてくれたり、また、それらを入れる容器をたくさん買ってきてくれた人もあったり、いろんな人達の力に支えられ、学生達は、きっと、心に残る夕食になったと思う。そして、突発的に何か起こったときの責任・判断や、細ごまとした世話のために、主催者である私達夫婦もその幼稚園に学生達と一緒に泊まるつもりをしていたら、「二日続きの幾つものイベントできっとお疲れになるから代わりに私達が泊まってお世話します」と申し出て下さった方がたがあり、結局その方たちにお願いすることになった。翌朝は焼きたてで届いたパン百五十個を飲み物と共にほとんどたいらげて彼らは元気いっぱいでホールへやってきた。若者は本当に気持ちがいい。その数日前、私の夫がいつも通っている歯科医院で「みんなの音楽」のチラシを置いてもらっているので、その先生と岩手の学生達の話になったとき、「岩手の学生さん達にこれで蓬莱551の(大阪の)〝豚まん〟を人数分買って、帰りのバスの中で食べてもらって下さい」と、費用をカンパして下さった。遠隔地からも多額の現金を送って下さった方があり、大変な二日間だったからこそ、今回つくづく実感したが、私の周囲は、何と良い人達、暖かい人達ばかりなのだろう。本当に有難く、感謝してもしきれないほど多くの方がたにお世話になった。

 当日のコンサートは、いつものように、まさしく「みんなの音楽」にあふれる会場となった。
 私自身は昨年同様、東北にちなんだ詩の朗読と教え子の創作ピアノとのコラボレーションで10分ほどの時間を貰ったが、今年は、そこに、東北出身のカメラマン、長年このムジカ工房通信の表紙を飾ってもらっている岡本央(さなか)氏からの提供で、被災地の風景や被災者の写真をスクリーンに映写したので、実際には三者のコラボと言うべきだろう。今年、私は被災者詩集から選んで、4歳になる我が子の「つぶやき」を受けとめて書いた、若い母親の詩を朗読した。その詩の最後は4歳の男の子のひとこと。

 「おかあさん、せっかくいきてるんだから、あそんで。――あそぼ。」

 子どもはすばらしい。何という大きな希望だろう。津波に家を流され、恐ろしい思いをし、最終的には親子三人の命が残っただけ。大人は、失ったものの大きさに打ちひしがれ、あまりの喪失感や、明日以降への心配と絶望感で胸がふさがってしまっているというのに、「今」を、いつものように、精一杯生きている「子ども」というものの存在の、何という素晴らしさ。「この子のために頑張ろう」と親なら誰しも思う言葉だ。親ならずとも、そんな純粋でいたいけな子どもの言葉を聞いてしまった大人なら、誰しも感動し、そんな子らを守りたくなる。そう思ってその詩を選んで朗読したが、会場内で泣いている人が何人もいた。子どもというものの存在は、社会において、本当に大きな「希望」だと改めて思った。

 シルバー世代20余名のオカリナの演奏は、指導する先生の人柄がしのばれる無理のない自然な暖かい演奏だった。その中には少し若い、視覚障がいを持つ女性が一人いて、伴奏が入ったときのピアノも全盲の青年だったが、音楽するということにおいては視覚障がいなど、何の「障がい」でもないということもきっと会場の皆に伝わったことと思う。
 また、7歳・4歳の子どもを含む親子三代で歌われた童謡は、それだけでほのぼのしていた。最近では年齢の異なる人達が一緒に歌を歌っている姿そのものが、滅多に見られない光景となってしまっている。ましてそれが「童謡」となると皆無に等しい。だが、このファミリーは、申し込まれた30代の女性から見て、60代の母親、30代ダウン症の弟、30代の妹、そして7歳・4歳の我が子、と、まさしく三世代親子と三きょうだいということになる。しかもその女性はその若さで夫を癌で失くした、いわゆる未亡人でもあり、子育ても大変な毎日と思うが、素晴らしい笑顔で、素敵な詩の楽しい歌「て・て・て」と、優しい詩のかわいい歌「雨」を、ファミリー全員、心を合わせて歌っていた。「雨が 雨がふっている。きいてごらんよ 音がする。ぴちぴちぱしゃぱしゃ 音がする。ほーらお池にふっている。金魚はどうしているかしら」――ふりをつけて一生懸命歌っている幼い子どもの姿は、とても可愛くて、場内の人々の笑みを誘っていた。
 毎年出演している児童養護施設の子どもたちは、昨年に比べて一段と演奏のまとまりが良くなってきたが、それは指導員の先生方の努力と共に、子どもたち自身の気持ちが安定し、心を合わせることの大切さが少しずつ解ってきて、素直になってきたり態度が良くなってきたことに起因すると思った。このコンサートに出演しだした初めの1~2年は、まじめさがなかったり、荒れている子がいたり、ふてくされたような態度をとる子もいたが、私は、そういう子どもたちだからこそ、みんなで音楽することを通して、また、このコンサートに参加することを通して、「育ってほしい」と思い、担当の先生に話をした。「この子たちを"育てる"ことにこのコンサートを利用して下さい。」と。「だから、毎年参加して下さい。」と。それは"音楽で人を育てるのが音楽教育"という私の考え方の根幹でもあり、客席の聴衆の拍手や暖かい眼差しがその子たちを育てることでもある。どんなに未熟な演奏であったとしてもそのことでその子たちが良い方向に育つのであれば、それこそ「みんなの音楽」の原点ではないか。そしてそのような方向に育ってゆけば、演奏も必ず良くなるというのが私の持論でもある。この施設は昔は、戦災孤児たちが育っていった児童養護施設として有名だったが、今では、両親の離婚で父親にも母親にも引き取られることなく、両親が生きているのに一緒に暮らせないという事情の子どもたちがほとんどであると、その校区の先生方に聞いている。大人たちの言動や生き方に傷つき、大人不信を抱いた子どもたちが多いのだから、せめて「音楽する」という接点、その一点だけでも、自分がみつめられることや、大きな拍手をもらうことで、その子たちの自信に繋がり、仲間を大切に思う心に繋げてくれたら――と、私は希望を持ってその子たちの演奏を毎年楽しみに聴いている。
 第8回にして初めて舞台に乗ったグランド・ハープの演奏は、京都で社会福祉学科に学ぶ大学生だったが、楽器の移動に関しては、私達主催者の都合に合わせて開館前の早朝に搬入して下さり、実家のご家族や親切な楽器業者の方に随分お世話になった。初めてグランド・ハープを見たらしい小学生くらいの男の子が、休憩時間に、体の前で両手をくねくねさせてハープを弾く真似?をしていたことがとても印象に残った。
 プログラム前半最後の全盲の青年が弾くショパンのバラードも、また後半でウィーンの音楽大学からやってきたポーランド青年の爪弾くクラシック・ギター演奏も、とても端正で誠実な演奏だった。
 ヴァイオリン独奏も、木管五重奏も、筑前琵琶も、チェロ独奏も、それぞれの世界で活躍しておられるプロばかりだが、今回印象に残ったのは、それぞれの方が皆、ご自分のお得意な曲を選ぶのではなくて、この会に相応しい曲、つまり「励まし」や「癒やし」「願い」や「祈り」を感じさせるような曲ばかり選曲して下さっていたということであった。そのことこそが、やはり「プロフェッショナル」なのだと心から思った。
 最後の二台ピアノでは、この会のために東北支援の思いをこめて作曲された「南部牛追い歌幻想曲」が初演された。舞台で演奏するピアニストたちだけでなく、作曲家、舞台スタッフ、ロビー・会場スタッフ、すべての人が力を合わせ、今年も、心のこもった熱いコンサートとなった。

 ――本当に様ざまな人たちの様ざまな「音楽」が、場内の人びとの心を癒やし、励まし、人びとは、共感することで繋がったと思う。  私は、岩手から来た学生達、若い青年達に、そのことを体験してほしかったのだと思う。今の、この殺伐とした世の中で、大人たちが、音楽を通して一生懸命していることや、そしてそういう人同士が繋がり築いてきた「人間関係」「信頼関係」の大切さを知ってほしかったのだと思う。
 彼らの手づくりカホンのリズムはホールに轟くほどの迫力があったし、決してうまくはないけれど一途さとひたむきさにあふれた彼らの歌は、やはり人びとを感動させ、アンケートには「感動で涙が出ました」と書かれたものが多かった。
 全員合唱を終え、彼らが岩手へ帰るためにホールの裏口に停めてあったバスに乗り込んだとき、善意の「大盛り弁当」と「551の豚まん」と「差し入れパン」が既に積み込まれていた。発車時刻に合わせて「できたて」を取りに行ってくれた人たちの善意も見逃せない。バスが発車した後、終演後それぞれ駅へ向かう、客席にいた六百名の人びとが、信号で立ち止まっている「修紅短期大学」と車体に書かれた岩手ナンバーのバスを見つけ、一斉に手を振り、「元気でね!」「頑張ってね!」と、沿道を埋め尽くす人びと、音楽で心を一つにした人びとの声で盛り上がり、学生達も胸がいっぱいになって帰途についたと、あとから手紙や感想文がたくさん届いた。
 若い人たちに、音楽で人が繋がるということを、また一つ伝えることができたかと思う。




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