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北村智恵ピアノ教室、コンサートの自主公演、ピアノ指導者セミナー開催等、行なっています。

過去の公演

みんなの音楽 第7回 エッセイ

心ひとつに 祈りをこめたコンサート ――北村智恵
 ~ムジカ工房通信69号「心を紡ぐ」より転載


 この夏、7月18日、今年も「希望コンサート・みんなの音楽」が開催された。いつのまにか第七回。主催主旨は、毎回、案内チラシやプログラムの表紙に明記しているように、この社会の中で、人間にとって音楽とはどうあるべきかを問い続けること──音楽が人を支え、音楽で人が繋がる、そのようなコンサートを目ざし、また、実現させているわけだが、この世知辛い今の世の中でそんなことができるのは、何よりも、このコンサートのあり方(=理想のコンサート)に賛同し、支援して下さっている「サポーター会員」のおかげと感謝し、有難く思っている。「ありがとう」は「有難い」の連用形「有難く」の音便と思うが、こんなコンサートのあり方と、コンサートの「開催」そのものを支持する「サポーター会」が生れ、六年も維持されていること自体が今の日本ではまさしくあり得ないこと、存在し難いこと、つまり言葉どおり、有り難いこと、と思うにつけ、本当に心の底から感謝が湧いてくる。
 現在386名のサポーター会員は、決して全員が関西在住の人たちばかりではない。この通信を手にして下さっている方がたを含め、全国各地からサポーター会費を送って下さっていて、ここ3~4年の間に、サポーター会も、舞台で演奏する人たちも、全国区(?)となってしまっているのだ。音楽を通して、全国の心ある人たちが繋がっていることを、とても嬉しく、また尊いことと思っている。
 今年3月11日、東日本で未曾有の大震災と大津波が発生し、私たちはなすすべもなく立ち竦む日々を過ごした。阪神大震災のときと同じように、今の自分の身で、被災地に対してできることというのは、やはり「音楽」を通してのことしかない。毎年開催し続けている「希望コンサート・みんなの音楽」を意図あって入場無料とし、それをサポーター会費で運営している以上、サポーター会費のうちの何割かを義援金とすることでしか被災地へまとまった支援を送ることができないと考えた私は、今春の、サポーター会費納入の案内を送るときに、「おそらく会員の皆様にご賛同いただけることと想い、今年度よりサポーター会費の半額を東日本大震災における被災遺児たちへの義援金とさせていただきます。」と書き添えたら、何と、多くの方たちが、今まで一口(千円)振り込んで下さっていた方は二口(二千円)の振込み、そして経済事情で一口のままの方でも更新の手続きのときに新規の友人を誘ってきて下さったりした。
 「このコンサートは本当にいつも感動と元気を貰って帰れるので、ポシャってほしくないんです」「いいコンサートを聴くことでそれが東北の人たちへの義援金になるのなら、私たちこそ幸せです」等々、本当に有難い人たちばかりである。いろいろなことを考え合わせ、今回からゲスト以外にも様ざまなジャンルにおけるプロの演奏家の出演を増やすことにした。

 そうして今年も、バラエティに富んだプログラムで「みんなの音楽」を開催することができた。
 今年度のオープニングは、和歌山から参加された「五十の手習い・仲良し主婦七名」によるトーンチャイムの演奏だった。「荒城の月」「ドレミの歌」と共に「アメイジング・グレイス」はまさに癒やしの音色そのものだった。
 二番目は「遥学園音楽クラブ」。かつて戦争孤児のために建てられた児童養護施設だが、現代では両親の離婚の際、事情あって父母のどちらにも引き取られなかった子どもたちが多いそうだが、今年は、寄付による金管楽器が何本か入り、幼い子どもたちの歌声も可愛く、感動で涙している人たちも多くいた。
 三番目は、高槻市の小中学校の教師退職者三十数名による混声合唱。「皆で手を取り合い明日を信じて生きて行こう」という思いがこもった「ビリーヴ」は真摯な歌いぶりで好感が持てた。
 四番目は、五指欠損の左手と右手五本指による女性のピアノ独奏で、バッハの小プレリュード。同じような障害を持つ子どもたちにとっては大きな励みになることと思う。
 五番目は東京からの参加でソプラノ独唱。「東北地方のことを歌った曲を選びました。音楽によって人びとの心が少しでも繋がりますように」という彼女自身の思いがよく伝わる「鳩笛の唄」「悲しくなったときは」は、心がこもっていてしみじみと切せつと伝わるものがあり、まさしく歌は祈りであった。
 六番目は、「蜂」と「雀」のジョイント合唱団。京都「蜂ヶ岡保育園」の保護者たちと、同「朱雀高校定時制」生徒・保護者・教員による合同ステージ。作曲者も川崎から来られていたが、「この星の名は地球、戦争はいらない」と歌ったあと、福島の原発事故に思いを馳せ、作曲者に了解を得て、「この星の名は地球、原発は要らない」と、替え歌にして訴えておられた。
 プログラム七番は前半最後、奈良県生駒市から参加、28名のゴスペル。このコンサート始まって以来、初のゴスペラー登場の舞台となった。楽しく賑やかに、会場の聴衆もほとんど椅子から立ち上がり、手拍子を打ちながら一緒に歌う姿はライヴならでは。この会でのこういう光景は初めてだが、これも一つの音楽の力だと思った。
 後半の初めはプログラム八番、詩の朗読と即興ピアノのコラボレーション。私自身が宮澤賢治の「永訣の朝」を朗読し、教え子(ムジカ工房スタッフ)の即興ピアノとのコラボであったが、東北人の高潔な魂が溢れ出るこの詩を朗読するにあたって、花巻にある宮澤賢治記念館の学芸員の方やイーハトーヴ資料館の方に、「花巻弁」のアクセント等についていろいろとお世話になり良い勉強をさせてもらった。今回は、どうしても賢治に象徴される東北の人たちの魂の高潔さを音楽と合わせてみたかったから。
 プログラム九番は声楽アンサンブル。「父はピアニスト、母は声楽家。娘二人は音大生。〝譜めくり〟で息子も参加!家族ならではのハーモニーを奏でます」というキャッチ・コピーそのままの演奏で、音楽+αのぬくもりがあった。曲は「アメイジング・グレイス」と「ウィーン、我が夢の街」。
 そのあと、プログラム十番から十三番までは完全にその界のプロの演奏──「ツィゴイネルワイゼン」のヴァイオリン独奏に目を丸くし圧倒されていた子どもたちもいて、終ったときは夢中で拍手をしていた。都山流尺八本曲「木枯」の演奏が始まったとき、会場全体が水を打ったようになり、空気が張りつめ、人びとの呼吸が一つになっていた。毎年邦楽は必ず取り入れているが、こんな素晴らしい尺八の演奏と出会えた子どもたち、若者たちは、幸せだと思う。ジャンルがどうあろうとも、良いものは良い、和・洋の枠を超えて音楽は素晴らしいということを知り、一流の演奏家に心を鷲づかみされたような体験ができて、きっと心に残ったことと思う。また、「千の風になって」とピアノ伴奏付「アメイジング・グレイス」においては、「尺八」でこんな西洋音階のピッチを技術で作ってまで震災被災者への祈りを音楽で伝えようとされた演奏者の心が伝わり、会場全体が感動で一つの呼吸になっていた。
 最後はピアノ独奏でショパンのソナタから「葬送行進曲」と、映画「戦場のピアニスト」でも用いられていた「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」。演奏前にピアニストのコメントがあったように、その演奏もまた、東日本大震災で亡くなられた方たちへの「祈り」そのものであった。
 ゲストは、11年間のドイツ留学から帰国、現在関東を中心に、全国で活躍中の、アコーディオニストによる、珍しいクラシック・アコーディオンの独奏と、当日コメンテーターをお願いしていた音楽評論家・中山英雄氏との父娘デュオで、子どもたちにも知られている曲等の演奏があり、暖かい舞台となった。

 それにしても、今年の会は、やはり、東日本大震災を意識してのことであろう、「アメイジング・グレイス」が何曲も重なったが、楽器や演奏形態が異なるうえ、各人の思いがこもってのことと想い、あえて変更を依頼しなかった。このことに象徴されるように、今回は「祈り」の曲が多かった。音楽に祈りの心をこめられるということを「音楽家」も「音楽人」もよく知っているということの証しだと思う。
 当日50名を超える場内ボランティアも含め、出演者、聴衆、ホール・スタッフ、すべての人の心が一つになったコンサートだったと思ったのは、今回初めて行なった最後の全員合唱のとき──。
 すべてのプログラムが終了し、舞台と客席が一緒になって歌を歌った。客席にいた当日の出演者も再度、全員舞台に上がり、出演者総勢百三十名の歌声と、客席の聴衆全員の歌声が一緒になったとき、その歌声、その響きは圧巻であった。
 心が一つになるということ、これこそ音楽の底力だと思った。




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