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北村智恵ピアノ教室、コンサートの自主公演、ピアノ指導者セミナー開催等、行なっています。

過去の公演

みんなの音楽 第6回 エッセイ

チンドン屋は出会わせ屋 ――北村智恵
 ~ムジカ工房通信65号「各駅停車の音楽人」より転載


 チンドン屋というと、今や若い人たちには「それって何?」と言われそうだが、でも実は、毎年春に富山で開催される「全日本チンドンコンクール」には、今年も、プロ・アマ合わせて62組の参加、三日間のフェスティバルで、のべ人数30万人の見物客が集まっての大賑わいという健在ぶり。チンドン屋というのは、もともと、どこかの店がオープンしたことを宣伝したり、商店街の大売出しを知らせたり、言わば〝歩く広告宣伝部隊〟だが、音楽あり、踊りあり、「情報」あり、ふれあいあり、また、立ち止まっては双方向のコミュニケーションまで築ける最高のメディアではないかと思う。私自身、二歳半のヨチヨチ歩きの年齢のとき、家の前を通りかかったチンドン屋の楽しい音につられてついて行き、迷い子になってしまった体験がある。
 昨年の秋、ある新聞に「チンドン屋ライヴ」の記事が載っていたので聴きに行ってみた。
 大阪の、有名な通天閣(とは言え、何と私自身は大阪人でありながら生れて初めて!)のすぐそば、「新世界」(なぜこの名前?)と呼ばれる商店街の奥まったスペースに、仮設舞台のようなものがあった。その空間は、コーヒーやソフトクリーム、そしてさすが大阪、たこ焼の店などによって囲まれていた。
 その日は、林幸治郎さんという有名なチンドン屋さんの、流暢な語り、鉦・太鼓、それから何とも不思議な雰囲気の年齢不詳の女性が、次つぎと、アコーディオンの伴奏で、シャンソンや演歌、童謡、戦後のラジオ歌謡などを歌ったりして、歌あり語りあり、舞踊あり、曲芸あり、それはそれは楽しいひとときだった。
 そのチンドン屋ライヴには、チケットがあるわけではなく、また参加料が決まっているわけでもなく、募金箱のような小さな箱に、コインでも紙幣でも、各自が「志」を入れて帰るというシステムになっていた。私のあとに続いて千円札を折りたたんで入れたばかりの老婦人が、私に軽く会釈をされたので何気なく訊いてみた。「ここに、よくいらっしゃるんですか?」と。するとその人が答えた。
 「へえへえ、しょっちゅうでっせ。毎日かも。ハハハ。私、独り暮しですねん。家に居てもつまらんし、かと言うて、あちこち行くには膝が痛うて。ここやったら、ちか場で結構楽しましてくれはりまっしゃろ?ちょうどよろしいねん、ふん。ま、ありがたい、ありがたい。そうそう、なあ。よっこらしょっと。」
 そう言って椅子から立ち上がり、布袋を下げて杖をつき、足をひきずりながら帰って行かれる後姿を見て、思った。「ああ、この高齢化社会で、チンドン屋さんの果たす役割が、ここにも一つあるのだ。何と素敵な仕事なのだろう──。」と。
 しばらくして私は、そのチンドン屋さんに手紙を出した。私が主催している「みんなの音楽」というコンサートに、次回ぜひ出演してほしいという内容の手紙を──。
 そしてその封筒の中に「ムジカ工房通信」のバックナンバー──いつか、渋谷の駅前で偶然出くわしたチンドン屋のアルトサックスを吹いていた青年の話(№49「胸にしまっておけないドラマ」)、過去のエッセイも同封して送った。
 さて今年のお正月あけのこと── 千葉に住んでいる、あるピアノの先生から、深夜、私宛てに一枚のファックスが送信されてきた。私のことで何かを検索しているときに、知らない人のブログで見つけたという文章だった。"Newday"というグループの一人が初めてCDを出したという喜びの内容と共に、次のような文章が続いていた。
 『ちんどん通信社という、チンドン業界で最も大きい会社の社長、林幸治郎さんから年賀状を頂いた。年賀状は封筒に入って届いた。
 中には、北村智恵さんという人の書いたエッセイのコピーが同封されていた。そのエッセイには、その人が何十年ぶりかでチンドン屋を渋谷の町で見かけた出来事が書かれていた。そのチンドン屋の一人が、数年前の僕だった。
 〝サックスを吹いているその青年は、どこかの音大生かも知れないと思った。音色等、少しムラがあり、特別うまくはなかったが、下手でもなく、音楽性のある演奏だった。朝から人をこんなにうきうきさせるなんて、何と上等の音楽、何と上等の演奏なのだろう〟
 と書かれていた。
 数年前の僕を描写した文章。
 二十歳も過ぎてサックスを始め、音楽や人生にもがいていた僕は、音大生ではなかったが、音大生に憧れていた。でも僕が毎日吹く曲は、演歌、歌謡曲、そしてパチンコ台の曲だった。エッセイの中で僕が吹いていたのは、岡本敦郎さんの「朝はどこから」。あの頃、大好きで仕事のはじめによく吹いていた曲。演歌だって、童謡だって、アイドルポップスだって、演奏がうまくいき、その曲のすばらしさに気づいたとき、演奏しながら涙が出そうになることがある。この曲でもそんなことがあった気がする。
 「ムラがあり、特別うまくはなかったが、下手でもなく、音楽性がある」これ以上の褒め言葉は僕にはないです。ありがとうございます。 生れてきてよかった。』
 ──そう書いてあった。
 何という偶然なのだろう。何年も前に、偶然、渋谷の駅前で、私の目の前を演奏しながら歩き出したチンドン屋さんに驚き、その中の一人の若者の演奏に何かを感じてエッセイを書いた私。数年後、新聞でチンドン屋ライヴのことを知り大阪ミナミのある場所へそれを聴きに入ってみて老婦人の言葉に感動し、チンドン屋の演奏に「文化」としての「音楽」の価値を再認識し、その人(大阪のチンドン屋さん)にコンサート出演の依頼の手紙を書いて自分のエッセイを同封した私。そのエッセイのコピーを、大阪から東京へ、「この中に書かれている若者とはおそらく彼のことだろう」と想像して年賀状と共に当人へ送られた大阪のチンドン屋さん。それを受けとった東京の若いチンドン屋さんがそれを読んで嬉しかったこととしてブログに書かれた文章を、これまた他のことで検索中に偶然見つけて、私のところへファックスで知らせて下さった千葉のピアノの先生──。
 本当に何という偶然なのだろう。
 「チンドン屋」という職業を、一つのメディアと考え、ポリシーを持って自分の人生に選んだ人がいる。その人たちの生き方や、その演奏に、「文化」としての価値を見出し、「ムジカ工房通信」というちっぽけなちっぽけな私通信にエッセイを書いたり、コンサート出演を依頼した私という人間がいる。加えてそこに業界人同士のつながりを持つ人がいて、また、ネット上で偶然知り得た「情報」を、長年の人間関係から、自分のことのように喜んでパソコンを使用しない私のためにプリント・アウトして深夜ファックスで知らせてくれた人がいる。
 世の中は本当にうまくできている。一人ひとりが、疲れたり、模索していたり、元気をなくしているときにでも、自分が誰かの役に立っていることを知り得て、自分の役割の中でがんばろうという元気が出てくる。
 「生れてきてよかった」──私のほうこそ今、そう思っている。
 それにしても、「チンドン屋」は「出会わせ屋」かも知れない。
(NHKラジオ深夜便「ないとエッセー」 3月8日放送分をリライトし加筆しました。)




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