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過去の公演

みんなの音楽 第5回 エッセイ

必然の出会い ――北村智恵
 ~ムジカ工房通信62号「各駅停車の音楽人」より転載


 今年の希望コンサート「みんなの音楽」のプログラムに、大阪水上隣保館(遥学園)の子どもたちの歌と合奏が入っていた。大阪水上隣保館というのは、一九三一年に大阪湾の水上生活者や港湾労働者の子どもたちの 健全な養育を目的として創設された児童養護施設だが、大阪大空襲で全焼した後、一九五二年に現在の山崎へ移転した。 創設者(中村遥氏)にちなんで「遥学園」と名付けられた施設では、6歳から18歳までの子どもたちが生活を共に している。もとは水上生活者の子弟のための施設だったが現在では、一般の、そして、死別より両親の離婚に伴い どちらにも引き取られなかった子どもたちをはじめ何らかの理由で両親とも養育が困難もしくは不可能と いう状況にある子どもたちが多いと聞いている。しかも、「里親」にも恵まれなかった子どもたちである。 それぞれに事情はあると思うが、子どもの側からすれば、「親」の愛を知らないが故に、「おとな」 を信用していない、「人間」を信頼していない、そんな子どもたちがほとんどで、地域の小・中学校でも、 その子たちの荒れように心を痛めている教師も多い。
 さて、その遥学園の指導員、昔流に言うと「寮母」のような仕事をしている女性の一人が、実は大学時代、 「ピアノ教授法」という私の授業を選択していたピアノ科の学生でもあり、私は、彼女が、卒業後どこかで 「ピアノの先生」でもしているのだろうと思い込んでいた。今回、縁あって再会し、私のライフ・ワーク でもある「みんなの音楽」のコンサートに遥学園の子どもたち二十数名を連れて参加してくれることになり、 私にとってはとても幸福な再会で、嬉しいことが二つもあった。
 一つは、彼女が、大学卒業後、おそらくは想像にあまりあるほどの大変さを抱えた「児童養護施設」で 八年間も仕事をし続けているという事実。そしてもう一つは、ピアノを弾くということからは離れても、 そんな施設だからこそ、その中で、「音楽クラブ」を作って、親の愛やぬくもりを知らずにそこに入れられ、 淋しさや不安や孤独を抱えて寝食のみを共にするという生活を強いられている子どもたちが、せめて好きな 音楽を一緒に演奏したり歌ったりするときだけでも、楽しいひとときを持てたり、素直になれたり開放されたり するように、と、自分が長年勉強してきたことを生かして、「音楽」に希いを持ち、子どもたちの心を開き心を つなぐ役割を果たそうと努力し続けているということ。この二つのことを知って私は、彼女との再会を本当に 幸福に思った。
 「みんなの音楽」はサポーター会のおかげで無料のコンサートであるうえ、どのような人でも入場できるという 主旨のコンサートである。それを知って、最初、彼女は、遥学園の音楽クラブの子どもたちを、聴きに連れて 行きたいと思っていたのだという。だが私は、ぜひとも出演してほしいと彼女に告げた。彼女は、 「そんなところで演奏できるようなレヴェルではありません。」と言ったが、私は、「下手でも何でも、 このコンサートの舞台に出るために皆で力を合わせること、一緒に頑張ることが、きっとその子たちを いい方向に変えていくと思うよ、逆に言えば、その子たちのためにこのコンサートを利用してほしい」 と答えたのだった。また、そういう考えのもとに取り組んだ音楽は、きっと、上手・下手を超えて、 聴く者の耳や心に、何らかのインパクトを与えると私は信じていた。

 出演が決まってひと月後、練習のアドヴァイスをしに行った。練習の間も、5分もまっすぐ立っていられない 子どもたちが何人もいた。それでもパートごとに具体的な指導をし、何度か繰り返すと、 おそらくその子たち自身が気づくほど全体の流れやバランス、音色まで良くなり上達した。 一時間ほどして練習が終ったとき、笑顔の子が増えていて、初対面の私にも口ぐちに話しかけてきた。 中には、私の気を惹こうとして、通りがかりにわざと私の前で転んでみたり、私の服の裾をひっぱったり、 脇腹をくすぐりに来たり、と、自分の方を見てほしい、自分の存在を知ってほしい、という自己アピールを 繰り返す子が何人もいた。そんなストレートな表現がいじらしくて、いとしくて、私は何度も涙が出そうになり、 一緒にふざけるふりをして思わず抱きしめてしまった。
 コンサート当日、六百の客席に向かって舞台に立ちリハーサルをしたとき、子どもたちが極度に緊張している さまは想像以上だった。本番も同じように緊張していて、練習のときのほうがずっとのびやかで楽しく、 本番は不出来だったと思うが、私はそれでも良いと思った。緊張するくらい集中して皆で一生懸命やった ──それだけで充分ではないか。いつもダラダラしていて5分もじっと立っていられない、そんな子どもたちが 力を合わせて最後まで集中していたのだ、それだけで充分──と。

『いとし子よ 今開く花のように 私を信じて瞳をあげる 
いとし子よ いつかその足で立ち 私をふりかえり そして出ていく
この両手の重み それは地球の重さ この胸のぬくもり 抱きしめて 
この両手の重み それは地球の重さ この胸のぬくもり それは愛』

『母さんがあなたにあげたひとつの贈りもの それは命 
果てしない宇宙の中で ただ一つだけの あなたの命 
母さんがあなたにあげたふたつ目の贈りもの それはこころ 
野に咲く小さな花を いつくしみ愛する 人間の心 
あなたの命が大切にされるように あなたの心が大きく育つように 
母さんたちが作るみっつ目の贈りもの それは揺らぐことのない平和な世界 
その小さな両手に 伝えたい 揺らぐことのない平和』

 コンサートの終りにゲスト出演で歌われた最初と最後の歌「いとし子よ」と「母さんたちの贈りもの」 の歌詞である。「母」ばかりのメンバーで二十数年間、愛と平和をテーマに歌い続け数かずの賞歴を持つ 女声合唱団「レガーテ」の方たちの何と美しく何と心のこもった歌だったことか──。
 この歌を聴きながら私は舞台袖で泣いてしまった。心のこもった美しい歌声への感動と共に、今、 遥学園の子どもたちは、この歌をどんな思いで聴いているのだろうか──求めても求めても与えられずに 生きて来なければならなかったこの子たちにとって「母」とは何だろう?「愛」とは何だろう?  ──そう思うとたまらなく辛く、歌声が美しいほど、心がこもっているほど、その歌に涙があふれた。
 人生は皮肉だと思った。この日に、「子を思う」あまりに歌わざるを得ない、愛と平和の歌を歌い続ける 女声合唱団と、お盆やお正月の休みにすら迎えにも来てくれない母しか知らない子どもたちが、同じこの場所で 出会うということの不思議。
 でも私は信じたい。あの子たちが、自らの体験で思い知らされてきたかも知れない、理不尽な母のあり方だけでなく、 世の中には、こんなかたちの母の思いもあるのだということを、歌を通して、たとえ一人でも知ってくれたかも 知れない、と。なぜなら「レガーテ」のメンバーは「我が子」のために歌っているのではなく、 世の中の「子どもたち」、いずれ父や母になるかも知れないすべての人たちのためにも歌っているのだと 心の底から思える歌だったから。
 皮肉な出会いだったと人は思うかも知れない。だがそれは決して「偶然」ではなく、神が出会わせ給うた 「必然」の出会いだったのだと今私は信じている。また、音楽が、偶然を必然に変える力の一つでもあると信じたい。 それはまさに希望コンサート「みんなの音楽」の主旨そのものとも思う。




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