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ムジカ工房は、音楽教育家・北村智恵をサポートする、小さなアトリエです。
北村智恵ピアノ教室、コンサートの自主公演、ピアノ指導者セミナー開催等、行なっています。

過去の公演

みんなの音楽 第4回 エッセイ

ポリシーを貫くコンサート ――北村智恵
 ~ムジカ工房通信58号「各駅停車の音楽人」より転載


 「希望コンサート・みんなの音楽」を、私達夫婦はライフ・ワークとしている。 「みんなの音楽」の「みんな」とは、社会的に、あるいは条件的に、"少数派の人たちを含めた" と言い換えることもできるが、舞台で演奏する人たちにとっても、客席でその音楽を聴く人にとっても、 自分たちが、日頃、何を大切に思い、どういう知恵と工夫で、どのように生きているのかという"生き方"を、 共感し合うコンサートであると私は思っている。コンサートというと非日常的なものと思われがちだが、 このコンサートは、そこに参加している人たち全員が、自分の日常と照らし合わせながら、音楽を通して、 他者と出会うことで、人としての生き方の大切なことを学び合える、そんなことを目ざしているので、言わば、 参加しているどの人にとっても「自分の日常を確認するためのコンサート」と言える。
 毎回、プログラム内容とその構成、司会、進行役は私自身が務めるが、年に一回のこのコンサートの出演者を 決めるために、あえて言えば一年中、私の心のアンテナは、さまざまなところに、さまざなふうに張りめぐらしている。 「音楽を通して、瑞みずしいもの、美しいもの、暖かいものを発信して下さるアマチュア演奏家の皆さん」 (演奏家をめざしている人も含めて)は、そう何処にでもいて、何処からでも自ら集まって来る人達ばかりではないからである。
 今年も心に残るいい演奏ばかりであった。みなそれぞれ違った意味で、瑞みずしく、美しく、暖かく、 比べようのない良さにあふれていたが、場内のアンケート用紙にも多くの人の思いが書きつらねられていた。

 「白髪のおばあちゃまが、娘さんやお孫さんと三世代で仲良く並んで弾かれた『アンネン・ポルカ』は とても楽しかったです。尊属殺人など、悲しいニュースの多い昨今ですが、このようなファミリーを見ていると、 心からホッとします。親子三代、皆さんとてもいいお顔でした。」
 「この頃、しんどい事は一切しないという若者が多い中、6人もの若者が力いっぱい打つエネルギッシュな 和太鼓アンサンブルに感動しました。和太鼓をこんなところで聞けるなんてびっくりしましたが、 二十歳過ぎの若者たちが、こうして日本文化を楽しみ頑張っているのを見ると、日本の未来が明るいと思いました。」
 「パーキンソン病の方が、杖をついて出て来られ、首の角度が一定に保てないというのに、 工夫をして一生懸命吹いておられたハーモニカのタンゴの演奏、とても感動しました。 どんなにリハビリに励まれたことでしょう。ハーモニカ歴60年というその方は、ハーモニカを吹き続けたい 一心で頑張っておられると思いますが、ハーモニカや音楽が、首だけでなく、その人の生きていく気力、 人生そのものを支えていると思いました。」等々――。
 私自身も、三重県の養護学校に勤めているという青年が、十年近くデュオを組んできたという音大時代の 同級生のピアノと共に、アイザックソンの「十一月の歌」という美しい小曲をピッコロで、心をこめて演奏 しているのを舞台袖で聴き、涙があふれそうになるほど感動した。本当に心にしみる優しい音色で、 そのフルーティストの青年の、まっすぐな心と誠実さを物語っているような演奏だったから。
 また、この会で毎年多くの人々に、感動と、生きて行く勇気や元気を与えてくれている全盲のピアニストは、 人間にとっての可能性や、まさしく「希望」というものを、ピアノの音、「音楽」だけで、今年も皆に伝えてくれた。 ハンディは、全盲のみならず、湾曲した脊髄や、左右長さの異る両手・両足、いわゆる形成不全の、 多重障害でもあり、身長は小学校の低学年くらいだろうか、それでも彼女がひとたびピアノを弾き始めると、 人々の心はその音楽による幸福な思いで胸があふれそうになる。たかだか21~2才の彼女が、人を幸福にし、 彼女の存在そのものが、人々に大きな希望を与えるのだ。今年も、ドビュッシーやショパンの魂が、 私達の心のひだに分け入り、身に沁みた。

 今年の会で、もう一つ、インパクトの強い演奏があった。ピアノ3手連弾――4手ではなく、6手でもなく――。
 実は、小学生のときに脳腫瘍の手術を受け右半身が不随となり、左手のみ使えるという高校生の男の子と、 逆に、生れつき左手の指がなく、5本指としては右手が使えることと、左手の手首・手のひらの側面が使える、 そんな30代女性の連弾なので、「3手連弾」ということになる。二人は過去に、このコンサートでそれぞれ独奏 したことがあるのだが、せっかくレッスンのとき私の教室で顔を合わせることも多いのだから、そのような条件の 二人が組んで演奏すれば、きっと何か、異る可能性が生れるに違いないと、かねてから私は考えていたのだ。 本当は2.5手?かも知れないが、二人で共に補い合い、高め合うことで少くとも3手の働きはあると思う。
 そういう条件の二人が共に生かされ合うためには、弾く曲によって、二脚の椅子の種類を選んだり、 一脚ずつの椅子の高さ、前後・左右の位置、踏む側の足の長さに合わせたペダルまでの距離、 そして鍵盤に対する角度や、両者の体の厚みを考慮した上腕・前腕の重ね具合の指導、等、本当に本当に 周到な準備をするための指導者のアドヴァイスと、両者の互いへの配慮や思いやりが何より必要である。
 そうして二人で共に「一つの音楽」をつくり上げて行くプロセスの中でこそ〈1+1.5〉が、単に2.5ではなく、 3にも、〈3+α〉にもなるのだと思う。
 私はそれが「音楽の偉大さ」だと思っている。左手だけで、しかも一人でしかピアノを弾いたことのなかった その男の子は、「こんな迫力のある演奏ができるとは思わなかった!」と言い、女性のほうは、 「結婚して、生れた子どもに、幼稚園のとき、"あやとり"を教えてと言われ、見本を示せない自分が悲しかったけど、 子どもの左手と自分の右手を合わせて"あやとり"したとき、とても楽しかったことを憶えています。 今、ピアノで同じ気持ちを味わえて、とてもうれしいです。」と言った。
 私は、家でも、大学でも、「音楽は、決して自己満足であってはならない」と教えている。 私の目ざしている音楽とは、人が生きて行く力に繋がるものであり、人の人生を支えるものでなければならないのだ。
 音楽が、作曲家の魂や、演奏する人の心を伝えると共に、演奏する人にも聴く人にも、その場にいるすべての 人々に幸福をもたらすものでなければならないと、私はずっと思い続けている。
 自己満足の音楽は、人を幸福にはしない。
 そして、演奏におけるヴァージョン・アップは、そのまま、人の生き方そのもののヴァージョン・アップに繋がることを、私は長年の経験で信じている。
 独奏用に書かれた曲を、2つ半?の手に分け、4手以上の効果を出して演奏した二人の連弾、 オスカー・メリカントの「夏の夜のワルツ」は、会場の多くの人たちに、その音楽の楽しさと共に、 人が生きて行くうえでの知恵や工夫を、きっと伝えてくれたと思う。
 また、それが、「みんなの音楽」であり、「希望コンサート」と呼べる本質なのだと私は信じている。
(NHKラジオ深夜便 「ないとエッセー」 8月1日放送分をリライトしました)




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