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ショパンへの道

ショパンへの道 2004年6月27日(金)毎日新聞 夕刊 掲載記事

ショパンへの道 全遺作を含めた演奏会の意義 「音楽とは音による思想の表現」

 ポリシーを貫いたショパン作曲者の死後出版された曲はすべて遺作と呼ばれるわけだが、ショパン(1810~1849)は、 全作品235曲中、63曲もの遺作がある。日本ではショパンというと最も演奏される機会の多いジャンルの一つに 「ワルツ」があげられるが、19曲あるワルツのうち、彼は生前8曲しか出版していない。半数以上が遺作である。
 作品のあり方は、その人間の生き方を語る。他国から何度も分割統治された国に生れ、革命直前に祖国を去り、20歳の若さで(若かったからこそ?)パリという異国の地で亡命ポーランド人芸術家として生きる道を選んだショパンは、 祖国で銃を持って戦うのではなく、不治の病の身にも果たせる自分だけの「役割り」を強く意識し、民族リズムを有した 芸術性の高いポロネーズやマズルカを、ピアノ音楽の象徴とも言えるノクターンと共に、生涯書き続けた。しかも出版を めざしている。そこがワルツとは異る。他のジャンルも含めて、ショパンの作品はほとんど仏・独・英、3カ国で同時出版 されたが、マズルカ、ポロネーズという民族舞曲を芸術の域に高めた彼は、今なお世界中の人々に、ポーランドの国名や その悲劇的歴史まで知らしめる役割りを果たしている。 ショパンには全曲遺作というジャンルがある。あまり知られていないうえ、日本では楽譜すら出版されていないが、実は彼は歌曲を19曲も書いている。だが、生前1曲も出版していない。すべてポーランド語の歌詞で、学生時代の初恋、亡命後の祖国への思いや苦悩、等々、その時どきの自分の心情に合う詩を選んで作曲している。これらは、彼の人生の 様ざまな場面で日記代わりに、親友(詩人)との友情や共感の証しとして書かれ、サロンや亡命者集会などで歌われたものと 思われる。彼にとっての「出版」とは、言語や文化を異にする人々に対しても通用する音楽作品を残すことだったのかも 知れないし、「私小説作家」にはなりたくなかったのかも知れない。
 このことは、彼が「標題音楽」を一切書かなかったことと無縁ではないように思う。(「子守歌」や「船歌」を標題音楽と 思っている人が時々いるが、これらは、幻想曲や夜想曲と同様にキャラクター・ピース名であって、標題ではない)
 彼はある草稿のメモに「音楽とは音による思想の表現」と記しているが、そのポリシーどおりに生きた。実際に、英国の出版社ウェッセルが彼の作品を流行に乗せるために勝手に標題を加えて出版したとき、彼は強く抗議し、出版社と長く争っている。
 そのようにロマン派の異邦人として生きることを選んだ彼の人生を想うとき、私は少くとも自分が30数年間学んで きたことをいろんな人達に伝えたいと思い、生誕200年のアニバーサリーまでに全曲レクチャー・コンサートを開こうと考え昨年12月に開始した。プログラムには正式名称と作品番号しか書かない。また、彼の音楽の本質は 「サロン音楽」であることを大切に思い、大ホールは使用しない。知られざるポーランド語の彼の歌曲を流し、ワルシャワの国立図書館等で研究用にコピーして貰った珍しい資料楽譜も展示している。昨今、大ホールでの演奏や 技術競争のようなコンクールのあり方がいつのまにかショパンを「弾きとばす演奏」に変えてしまったが、なるべく 自筆譜や原典版を使用し、テンポも含めショパン作品を本来の姿に戻すことに協力的なピアニスト達と組んで続けて 行こうと思う。聴衆対ピアニストというスタンスではなく、すべてが参加者、そして専門家にとっても一般の人にとっても ショパンが願った通りの音楽を伝えたい。(by 北村智恵)




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