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北村智恵ピアノ教室、コンサートの自主公演、ピアノ指導者セミナー開催等、行なっています。

過去の公演

みんなの音楽 第1回 エッセイ

これから始まるドラマ ――北村智恵
 ~ムジカ工房通信45号「心を紡ぐ」より転載


 月刊誌「ショパン」に二年余り連載していた「ディア・リトルピアニスト」 という私のエッセイは、何編かの書き下ろしを加えて、「心を紡ぐ」という単行本 になっている。その最後のページで私は、ドイツから留学を終えて帰国したばかり の教え子に宛てて次のような文章を記して結びとした。
 「音楽とは、自分自身を語ること、音楽教育とは、音楽を通して語るべき 自分らしさを育てること──音楽とは、"人はそれぞれ皆ちがう"ということを 知るためにあるのです。
 この地球上で、自分が生きていて、そして自分以外の人間が生きていると いうことを知ること、知らせること、──それが音楽というものではない だろうかと、今日も私は思っています。」
 十年も前の拙著だが、私の、音楽に対するこの考えは今も全く変わらない。
 というよりも、音楽とは何かと問い続けることも、その問いに対する自分なり の考えも思いも、今の場所でピアノを教え始めた三十数年前と、いささかも 変わっていないということに、今、改めて気づき、驚いている。
 だからかも知れないが、NHKの「ラジオ深夜便」で時折語らせていただく 「ナイトエッセイ」は、「音楽は誰のもの?」に始まり、以来、何年もの間、ずっと「みんなの音楽」という総タイトルで通してきたりして、よくよく私は、 この日本では、まだまだ音楽というものが「みんなのもの」にはなっていないと いう現実に、こだわり続けているのだと思う。
 本ものの「音楽」の偉大さは、人に希望をもたらし、人を元気にすることである。人に生きる力を与え、人の心を結び、人を繋ぐ。それは決して、自己満足であったり独り善がりであったりはしない。だから本ものの音楽は、個人的にはその人と、何の接点、何の感情、何の関係が なくても、その演奏だけで共感や感動を与え、人を元気にし、人に希望や生きる力を与え、人を連帯させる。

 この春、私自身が長年暖め続けてきた、私にとっての理想どおりのコンサートが、やっと実現した。「みんなの音楽」の第一回。三十数年間、あらゆる年齢層の、 あらゆる社会の、あらゆる場面で、「音楽教育」という仕事を通してさまざまな人々 と出会ってきたことが、このコンサートを具体化させたのだと思う。
 第一回の出演者を、すべて私は、自分の関係者の中から選んで決めた。なぜなら、 このコンサートに対するコンセプトも、スピリットも、そしてレヴェルまでもが、 ここで決まってしまうと思ったからである。「舞台で演奏する」ということが、 自己満足であったり、独り善がりであったり、自己顕示であったり、もしも、 ひと組でも一人でもそんな人がいたら、今後もそんな音楽に対して不遜な人が 出演する可能性が起こってしまう。私は、音楽に対してひたむきで真面目な人、 一生懸命な人、音や声に心をこめられる人、つまり、魂から音楽している人や、 心で繋がり合って音楽している人たちだけを、舞台で紹介したいと思っている。 不思議だが、事実としてそういう人たちの演奏は、必ず心がこもっていて、 他者の魂に伝わる何かがあり、上手・下手を超えて人を感動させる。それが音楽の力であり、 何事においても一生懸命生きている人、ていねいに生きている人、他者に対する思いやりや、 人としての謙虚さを持った人の演奏からは、必ずそういうものが伝わってくる。プロ・アマを問わず、 それが伝わってしまうところが「音楽」のこわいところでもあり、「みんなの音楽」と名付けたこの コンサートではアマチュアながらも、音楽に対して真剣に取りくんでいる人や、誰かのために心を こめて演奏できる人こそが、「音楽の原点」を語る(=音楽というものがみんなのものであると 知らせ伝える役割りを担う)資格を持っていると、私は考えている。

 「シルバー・コーラスの方々のひたむきさに、忘れかけていた大切なものを思い出させて貰いました。」
 「小学生の姉弟とその御両親──よくある一般家庭の感じでしたが、ちょっとしたアイディアや工夫で こんなに楽しい合奏ができるなんて、うちへ帰ってやってみようと思いました。」
 「嫁・姑のピアノ連弾、ほのぼのとして、なぜか涙が出ました。」
 「親子合唱、あんなのいいですね。心の中で一緒に歌ってしまいました。」
 「独唱の人の声が邪心のないきれいな声で、心が洗われるような歌でした。癒やされました。」
 「片手しかない人と知らずにピアノの演奏を聴きました。あとでそのことを知ったとき、 あのエネルギッシュな音や美しい音が、どれほどの努力から生れた音楽かと思いよけいに感動しました。 自分ももっといろんなことをがんばらなければと思い勇気と元気をもらいました。」
 「全盲の人のギターと歌声、すばらしかったです。マイクなんていらない。思わず耳をすまして 聞いてしまう、これこそ本ものの音楽と思いました。自分が目が見えないのに、耳の聞こえない 人のために手話つきの歌も歌われて、すごいなあと思いました。私も何かしなければと思い、 そんな勇気をもらった感じです。」
 「高校生の和太鼓、とても良かった。若い人たちがこんなふうに力をあわせて一生懸命やっている 姿っていいですね。悪いニュースが多い中、こんな若者もいると思うとホッとします。」
 「全盲に加えて脊髄や手足、全身に障害のある小さな女性が舞台に出て来られ、初めびっくり しました。ピアノの椅子に座るのも、弾き始めの音を探すのも大変そうだったのに、ショパンの 曲が流れ始めるとすぐにそんなことを忘れてしまうほど音楽に感動し、ショパンの音楽にハマッて しまいました。終っておじぎをされたときの笑顔がすばらしかった。感動でまだ涙が止まりません。 すばらしい演奏、感動、本当にありがとうございました。」

 これらは当日のアンケート用紙に書かれた感想の一部にすぎない。演奏者にとっても、聴く者にとっても、 「音楽」は、みんなのものであり、勇気、元気、希望、生きて行く力に繋がるものであると証明している。
 音楽とは、やはり、他者の中に「自分」を見出したり、この地球上で共に生きていることを知らせあうものである。
 はてさて、そのことを体験した何人もの来場者が私に提案して下さった。「こんな感動的なコンサートは、 毎年、絶対続けてほしいので、そのためにも有料にして下さい ポシャって続かなくなったら大変ですから」と。
 私が入場無料のコンサートにしたい理由は、これまでその障害ゆえにコンサート会場への入場さえ拒否されてきて、 静かに聴くというマナーが身についていない知的障害児・者に対して、これから皆で身をもってそれを教え育てて 行こうとしているのに、客席の中に初めから、「チケットを買って来ているのに、迷惑だ」というような人が、 一人でもいてもらっては困るからである。私が、お金がある人もない人も、大人も子どもも、「障害」者も健常者も、 誰でも聴くことができ、音楽を愉しむことができるコンサートを目指したいので実は「入場無料」にこだわりたいのだ ということを話すと、ある人が、真剣に考え、そして妙案を思いついた──
 「みんなの音楽」を支援する会をつくって、会員が支援会費を納めるっていうのはどうですか!? 感動をもらってみんな元気になれるんだもの、少くとも今年参加した人は全員、支援会員になると思いますヨ!私、第一号になります 」
 舞台で大きなドラマを生み出した「みんなの音楽」だったが、もっと大きなドラマが、これから始まろうとしている。




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